『森のようちえん』(おおたとしまさ著 集英社新書)を読むと、
本当にそうだよねと思うことがたくさん書かれていました。
「森のようちえん」とは?
著者はこう語っています。
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現代社会における森のようちえんの役割は、太陽や風や空気や、
そういう外なる自然と人間のなかの内なる自然を、
命のレベルで出会わせることあるんだと思うんです。
外なる自然と共鳴できる内なる自然を持っている人間を育てる教育の総称を
「森のようちえん」ととらえればいいと私は思っています。
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森のようちえん全国ネットワーク連盟というのがあって、
「森のようちえん」は、様々な形で全国に広がっていることも知りました。
https://morinoyouchien.org/about
これだけステキな幼稚園がたくさんあるのに、
小中学校は画一的だよねと思うわけです。
だからこそ、「イエナプランを語ろう!」の会があるわけです。
学校教育の場合も、イエナプランのステキな小学校で育ってきた
子どもたちの中学校生活はどうなるんだろう?
という素朴な疑問がわいてきます。
森のようちえんの場合は、こんなにもたくさんあるだけに、
小学校はどうするの?という問題はより深刻でしょう。
それに向き合って、何とかしようとしている人たちがいます。
滋賀県の「せた♪森のようちえん」の西澤彩木さんは、
オランダで発展したイエナプラン教育と
森のようちえんの親和性も指摘しています。
「いま小学校では、イエナプランに光が当たっていますよね。
そういうスタイルの小学校なら
森のようちえんでの経験が生かされやすいだろうと思います」
西澤さんによれば、
「森のようちえんでここまで育ててくれたことを、いまの小学校では、
なかなか発揮させてあげられない」と嘆く小学校教員もいるとのこと。
要するに、森のようちえんで育ったものを、
現在の小学校では生かしきれていないという自覚のある先生も多いようなのです。
既存の小学校に問題があるなら小学校をつくればいいという発想もあります。
鳥取県智頭町「智頭町森のようちえん まるたんぼう」の代表西村早栄子さんは、
2015年4月、智頭町の新田地区に「新田サドベリースクール」を開校した。
そこに通いながら塾なしで中学校受験をして、
自由な校風で知られる「青翔開智」という中高一貫校に合格した子がいる。
入学当初は、成績はビリだったが、「授業が面白い!」と意欲的に勉強して、
中学3年生で学年順位一桁になった。
「森のわらべ多治見園」の浅井智子さんは、せっかく森の幼稚園で育っても、
普通の小学校に行くと、その子らしさが曇っていくことを残念に思い、
自らオルタナティブスクール「森のわらべ大地組スクール」をつくってしまった。
せた♪森の西澤さんは、
「大津市北部に、区域外からも通える大津市立葛川小中学校という
非常にユニークな小規模特認校があります。
うちの卒園生たちと相性がとってもいいんです」と教えてくれた。
http://www.otsu.ed.jp/ktr-e/new/adiary.cgi
「新田サドベリースクール」も「森のわらべ台地組スクール」とも、
文科省が認める学校ではないので形式上、公立小学校に籍を置く、
インターナショナルスクールに通うのと似たようなしくみであるというのです。
「きのくに子どもの村学園」も、確かそうだったと思います。
http://www.kinokuni.ac.jp/nc/html/htdocs/?page_id=50
公立小学校に籍を置くという何とも不思議なやり方をしていたり、
特認校というのもあったり、何ともおかしなことになっていると思っています。
学校の仕組みを見直すのは、あまりにも遅すぎる感がありますが、
それでも何とかしていかなければいけない、
ある意味最優先の課題だと思います。
次の時代を担うのは、いつの世も子どもたちなのですから。
これもまた、方法としては、
市民活動や民間の力にかかっていると言わざるを得ないでしょう。
逆に、自分たち個人個人の「微力」が発揮できるとも言えます。
以下、本を読んで、これ大事だなと思ったフレーズを引用します。
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科学技術が進歩して、戦争に使われる武器や兵器は、
昔では考えられないほどの威力を持つようになりましたし、
それらを使いこなすには高度な知識と技術が必要になったわけですが、
戦争を起こしてしまう人間の愚かさは、
原始時代に部族間競争をしていたころから何も変わっていないんです。
グローバル経済を舞台にした貿易戦争だって同じです。
競争をくり返す限り、永遠に敗者が生み出されます。
自己責任の名の下に敗者が排除されていく、
社会で最後に残るのは孤独な勝者です。
そのときようやく彼または彼女は気づくでしょうか。
「あ、しまった、ひとりでは生きていけないんだった」と。
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東京日野市の「野外教育まめのめ」代表中川ひろみさんがやってきたことは、
子どものためになることを足し算するのではなく、
むしろ幼児期に優先順位が低いものを引き算することでした。
「親は、わが子のためにと思って抱えきれないものを抱え込んで
重荷に耐えかねてしまうわけです。
そこにさらに重しを乗せようとするよりも、
「あ、それいらないよ。これもなくても大丈夫」
と仕分けをする方が大切であることは言うまでもありません。
これまでの私の取材経験からしても、
情報過多時代の子育て大原則は「迷ったら引き算」です。
http://www.manazashi2009.org/rinen.html
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長野県飯田市の「野あそび保育みっけ」
森のようちえん全国ネットワーク連盟の理事長 内田幸一
視察に来た方といっしょにおさんぽすると、
「なんでこの道はこんなにすばらしいんですか?」
と言われることがときどきあるんですが、特別じゃないんですよ。
つまりいつもは見えていないものが、そのときだけには見えただけ。
目的地ばかり意識すると、目の前のものが見えなくなるでしょ。
おさんぽの目的は、その途中途中にあるんです。
人生も同じでしょ。こういう価値観を知らないで育った子どもたちは、
「いつ終わるの?」「どこまで行くの?」とすぐ聞きますよ。
でも森のようちえんの子どもたちは、どこまで歩くかなんて気にしない。
時間なんて関係ない。途中を楽しむから。
https://noasobihoiku.wixsite.com/mikke
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単なるたとえばなしではなくて、幼い頃から森のなかを歩いていると、
人生においても、自分で自分の進むべき道を
さっと見出す能力が身につくのではないかという気がします。
同様に、幼いころから自分で遊びを見つける経験をたくさんしていると、
大人になっても自分のなすべきことを
自分で見つけられるのではないでしょうか。
幼いころから、火や刃物や高所などの危険との付き合い方を学んでおけば、
大きくなってから、
たとえばインターネットや最新の科学技術が盛るリスクについても、
敏感に認知して、
適度な距離感で利用できるようになるようになるのではないでしょうか。
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リンクした森のようちえんのホームページは、
じっくり見たわけではないですが、どれもステキでワクワクしますね。
そこで育った園児たちが、同じような思想に基づく小中学校で、
のびのび、イキイキ育っていってほしい、そう願っています。