私は、読んだ本からの関連付けで本を借りることが多い。
この本も、覚えてはいないけど、何かのめぐりあわせ。
よかったので、同じ著者の『子どもの心のコーチング』も予約した。
「しつけ」をするか、しないかを何度も考え、
「しつけしないというしつけ」を標榜していたが、これを読んで、
そうだ、コーチングでいいんだと、腹落ちした感がある。
CTIの基礎コースだけなれど、コーチングはかじったことがあるので、
また、そちらの学びもしていこうかと思っている。
「選択できること」について書こうと思ったのは、
この本の中に、その言葉があったから。
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「できない」と「しない」には、大きな違いがあります。
「できない」と言っている間は、選択がありません。
ところが、「しない」を選択した瞬間に、「する」という選択が生まれます。
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ここからしばらく、この本から「選択」についての引用をして、
また、この言葉に帰ってこようと思っている。
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今の自分の人生は、自分の選択の結果であることを、
どのくらいの人が認識しているでしょう。
いいことが起こったときは、自分の努力が実ったと思えます。
ところが、好ましくない結果については、
誰かのせいにしたくなるのが普通です。
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親や先生や上司や、誰かから言われて、しぶしぶやったとしても、
それは自分が最終的には「選択」したということ。
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私たちがしているのは、すべてが私たちの選択の結果です。
でも、人のせいにしたくなるのは、自分が意識して選んでいないからです。
重要なことは、意識的な選択です。
「自分が選んだ」と思えることです。
意識的に選択することによって、責任意識が生まれます。
責任意識とは、自分の選択に身をまかせようとする行動です。
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そうはいっても、会社などでは、力や権限の差があって、
自分の意識で選択することは、難しいことが多い。
忖度というのもある。
その程度ならまだいいが、①に書いたように、
圧倒的な力の差で押さえつけられている場合は、もうどうしようもない。
それを考えたとき、自分で「選択できること」のありがたさが身に染みる。
それはさておき、先に進めたい。
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子どもが幼いころは、子ども自身にかわって、親が選択をしますが、
選択の訓練は幼いときから行います。
人間は面白いもので、どんなに幼くても、
自分の選んだものには、責任を持ちます。
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その例が書かれていた。
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3歳になる息子は歯磨きが嫌いで、歯磨きを指せるのに一苦労していたそうです。
子どもに選ばせることを聞いたお母さんは、
子どもに歯ブラシを選ばせたそうです。
子どもが選んだのは、お母さんから見ると、ちょっと大きめのものです。
いつもなら、「それは大きいからこっちにしなさい」と
お母さんが勝手に選んでしまうところを、息子の選択にしたがいました。
すると、その歯ブラシを手にした息子は、
進んで歯磨きを続けるようになったのです。
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なるほどね。