『子どもを信じること』田中茂樹著にこういうことが書かれています。
著者が、子どもの問題の相談に来られた親の面接をしていて、
しばしば出会う気になる傾向がありました。
次の面接までに、朝起きてから寝るまで、
子どもにかけた言葉、かけようとした言葉を記録してもらって、
見えてきたのがこういうことでした。
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だいたいの親に共通する特徴ですが、
「お風呂に入りなさい」とか
「ゲームより宿題を先にやった方が良いのと違う?」といった
「指示や行動を促すことば」がぎっしりと並んでいます。
一方で、「○○のこと、どう思う?」とか
「XXは楽しかったね」といったような
「思いや考えを伝えあう言葉」はほとんどありません。
このような姿勢で子どもに向き合う日常には、
子どもとすごす時間を慈しむという要素は、
ほどんどないように思われます。
子どもにしてみれば、親からの言葉は、
何かをしなさい、してはいけない、などの指示ばかりです。
もしくは、できたか、できなかったか、の確認の言葉です。
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子どもに接する者として、この言葉はと手の大切な意味を持っています。
誹謗中傷や決めつけもそうですが、子どもに対するだけでなく、
自分の損得や根拠のない主張だけで発言、行動し、
相手のことを慮ることができていないのが、
自分も含めて、今の社会の趨勢ではないでしょうか。
自分が満たされていない、それは過剰なストレスにさらされ、
心に余裕がなくなっているからでもあります。
子どもに対しては、その子の将来に少なからぬ影響を及ぼすので、
このことはよくわきまえる必要があります。
そのためには、自分の心に余裕を持ち、
自然体で接する必要があるのです。
私が小さいころのことは、断片的にしか覚えていませんが、
その一つの断片が、こんなことでした。
小学校の何年生だったか忘れましたが、写生をする時間がありました。
校庭の下には国道が走っていて、そこを自動車が行き交っていました。
それを描いたのです。
それは、よくできていると先生からほめられました。
しかし、先生からの一言がありました。
「この車の後ろに塗られている黄色は何かわからない。
これがなかったらもっとよかったのに」
私は子ども心に覚えています。
自動車が走っているのに、絵では止まって見えます。
でも実際にはすごいスピードで走っているのです。
そのすごいスピードで動いているのをなんとか表現したくて、
車の後ろに、何本かの線を黄色で引いたのでした。
それは、子ども心の想いだったのです。
なんとも他愛のないことですが、
もう50年以上も経った今、まだそのことを覚えているのです。
いまから思うと、
先生は大人の観点でしか子どもの絵を見ていないのです。
勝手に評価を下すのではなく、
「この黄色は何? 何を書きたかったの?」
と聞いてくれるだけでよかったのです。
そして、
「そんな見えないものを描いちゃダメよ」
ではなくて、
「よく考えたね」
と言ってくれれば、今の私のように、
そのことは、記憶には残っていないでしょう。
子どもが変な絵を描いたり、奇異な行動をとったりしても、
大人になって、同じことをする人はいません。
子どもがのびのび、すくすく育つためには、
やはり、子どもの人格とやっていることを、
認めてあげることだと思います。
子どもと一緒にいるということは、
かけがえのない学びの場なんです。
ありがとう!