今の時代、本当の意味での「ありがとう」がなくなっていると思えます。
それは、貨幣経済に浸りきった現代人が、
多くのことを「有難し」ではなく、
「当たり前」だと勘違いしているからでしょう。
しかし、当たり前のことなんて、どこにもないですよね。
今世の中で起きていることは、神様が、私たちに、
「感謝」を思い出すきっかけを与えてくれているのだと思っています。
一人でも多くの人が、そこに気づいて、忘れずに行動すれば、
「感謝」「ありがとう」「ありがたい」が溢れる社会が、
築かれていくと思います。
私は、前回書いたように51歳で、「感謝」の大切さに気づきました。
「感謝」には、自分への「感謝」もあり、
これが一番大事だと思っています。
これが失われているから
- 自分とつながっている人への「感謝」
- 目に見えないところで自分の生活を支えてくださっている人への「感謝」
- 自分を生かしてくれているすべての生きとし生けるものや大自然への「感謝」
- そして、見えない大いなるエネルギーへの「感謝」
が、生まれてこないのでしょう。
自分への感謝を生み出すには、簡単な方法があるようです。
私自身、「感謝」に気づいてから12年たち、
それなりに「人間らしい豊かな人生を生きる」
ことができる感覚が得られていると感じています。
そうすると、じわじわですが、
何かに導かれていく実感も持てるのです。
「感謝」「ありがとう」といっても、簡単なようで簡単ではありません。
心がこもっていないとダメだとか思ってしまうからです。
しかし、『なぜ、感謝するとうまくいくのか』五日市剛著を読んで、
ハードルがとってもさがりました。
気持ちが込められていなくてもいいのです。
ただ、「ありがとう」を言うだけでいい、心の中で唱えるだけでいい。
当たり前のことに、「ありがとう」と感謝の言葉をかければいいのです。
そして今、『「ありがとう」が身に沁みる年に』を書こうと思ったのは、
ときどきパラパラめくりながら読んでいる
『心が軽くなる言葉』小林正観著の栞の先を読んで、
こんな言葉たちに出会ったからです。
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私たちには、感謝すべき「八者」というものが存在しているようです。
まず、「目に見えない者」である四者が存在します。
「神さま」「仏さま」「守護霊」「精霊」というものです。
それから、目に見える四者が存在します。
「友人」「知人」「家族」「自分の体」です。
ですから、神社やお寺に「お願いこと」しに行く人も多いと思いますが、
本当は「感謝をしに行く」のが正しい。
神や仏に感謝し、あとは「お任せする」。
ただ、「お任せ」して、「ありがとう」を言いながら感謝して生きれば
味方をしてくれるようになります。
神さまや仏さまは、
「ありがとう」の回数を上空でカウントとしてくださっているようです。
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「ありがとう」と年齢X1万回言うと、いろいろな奇跡が起きる。
年齢X2万回の「ありがとう」で第2段階の奇跡。
その家族や友人が考えてもいなかった現象が手に入り、
年齢X3万回の「ありがとう」で第3段階の奇跡。
本人も家族も友人も、誰も念じたことも考えもしなかった現象が、
勝手にどんどん降ってくるらしい。
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「ありがとう」を25,000回言って、大泣きした人がいる。
涙が出尽くしたあとの「ありがとう」は、
心の底から感謝をこめたものだった。
さらに25,000回続けて、合計5万回の「ありがとう」を言ったら
突然に現象化が始まった。
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「ありがとう」を言う途中で、
五戒(「不平不満」「愚痴」「泣き言」「悪口」「文句」)を口にした瞬間、
「チーン」と音がしてゼロになる。
でも、「いまのナシナシ! いまのは間違いです!」と、
10秒以内に取り消した場合はゼロにならない。
「五戒」を言ってしまったことよりも、
言ったことに気がつかないほうが問題らしい。
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言霊は、間違いなくあると実感しています。
どこの国に行っても、「ありがとう」は、とっても大事な言葉です。
これから先、多くの人の口から、それぞれのことばで、
「ありがとう」が聞こえてくるようになるでしょう。
同じ本にTip 2159で引用した言葉があります。
もともと人間は、
「明るさ」「やさしさ」「温かさ」「自分への厳しさ」
「素直さ」「奥深さ」「謙虚さ」「感謝の心」
の8つを持っているということです。
このなかの、「感謝の心」があれば、
他の7つは自然と生まれてくるのではないか、
そう思っています。
すなわち、「ありがとう」が聞こえる社会は、
「明るい」「やさしい」「温かい」「自分に厳しい」
「素直な」「奥深い」「謙虚な」
社会になのだと思います。