1/24「読んでもらうこともある」の続きです。
先週木曜日は、調布市で、今年初めてのドリームマップ授業をやりました。
ほぼ一年ぶりの4年生。
子どもらしくも、とてもしっかりしている、
本当にかわいいいい子たちでした。
ドリームマップ作成と発表を終わってからの振り返りで、
その子たちの発言の中に、こういう言葉がありました。
「発表したからには、本気で夢に向かっていかないと!
という気持ちが出てきました」
1/19の「読んであげるんじゃない」で、
絵本を書きたいと思っていることを、このブログに書きました。
ドリマと同じで、ほかの人に伝えることで、それを実現するために、
なんだか思考や体が、自然と動いていく感じがしています。
そして、「Solさんの絵本、読んでみたい」という声もかかりました。
ありがたいです。
焦らずに、ゆっくり行こうと思っている、
でも、着実にその方向を向いて歩み始めたというのが、
ここ数日の状況です。
家に、娘が残していったのだろうと思われる
「らくがきちょう」がほぼサラの状態であり、
それに落書きしてみようと思いました。
それを開いてみると、たぶん去年のどこかで、
2枚ほど、自分で書いているのが見つかりました。
その一つがこれです。
これを見て思いました。
焦ってはいけないと。
このキャラは、ひねり出したのではなくて、出てきたのだと思うけど、
形から入っちゃダメだなと思ったのです。
結果として、この「ゆめのタネ」で絵本を書くかもしれませんが、
Solの絵本は、こんな形のものではないような気がしています。
これは、昨日の土曜日に、学童保育で仕上げたすごろくです。
スタートが学校、学童にやってきて、ゴールがおうちのすごろくです。
「おりこうかな?すごろく」というくらいなので、
ちょっとおふざけ的な要素も入れながらも、
教訓めいたすごろくになっています。
私が書きたい絵本は、
「ゆめのタネ」のように、こうだったらこんなに楽しいことがあるよ、
というのではなく、
「おりこうかな?すごろく」のように、教訓めいたものでもないな、
なぜか、そう思っています。
そのまえに、なぜ絵本を書くのでしょうか?
絵本を書くのが目的ではない、その先には大切な目的がある。
それはなんだろうか?
単純に、子どもたちに楽しんでもらう、それだけじゃないはず。
ということで、何のために絵本、あるいは物語を書くのか、
これが、まだ納得いく形で出てきてはいません。
「読んであげるんじゃない」にも書いたように、
まずは、絵本や子ども向けの物語を、
たくさん読んでみたいと思って、図書館で借り始めています。
あまり詩を読んだことがないのですが、
なにかの関連で、最近『世界はうつくしいと』長田弘作の詩集を読みました。
これを読みながら、思いました。
あきちゃんの「言霊塾」でやったのがきっかけで、
気まぐれに、5-7-5-7-7の和歌を書いています。
それはそれで、感性を高めるためにもいいのだと思うのですが、
なんだかしっくりきていない感があるのです。
それは字数制限があるからだと思います。
詩を読みながら、もっと自由に表現したい、
そのためには和歌より、死のほうがいいのではないかと思いました。
まだ書いていないけど、書く前に宣言しておいた方がよいと思い、
これを書いています。
そんなことをしていけば、
絵本や物語を書く目的が見えてきて、
自然と何かが生まれてくるのではないかと感じます。
どういうときに詩を書くのだろう?
私の今は好都合なんです。
学校の3季の長いお休み以外は、学童保育のお仕事は午後からです。
ドリームマップも多くて月に3回くらいです。
平日の午前中は、それなりにいろんなことをやってきましたが、
これからは、絵本を書くことに向けた、
感性を高めることをいろいろと試してみることができます。
ありがたいなと思うとともに、
夢に向かっていく力が湧いてきました。