きっと何かが届いている

昨日から、特別な3月の学童保育が稼働した。

 

6割がたの子どもたちが、元気にやってきた。

朝から夕方までの長丁場、

それでも暇をもて余すようなことはなく、みんなよく遊ぶ。

 

そして、17時前後の「おはなしのじかん」も、いつも通り。

特別な事情がない限り続けてきた「おはなしのじかん」。

昨日は、もともとドリームマップ授業の日でお休みする予定だったので、

午後は人の手配がついていた。

そのおかげで、8時から初めて14時で上がることができた。

そんな時、お休みのときなど、私が選んだ絵本を3冊くらい置いておく。

そうすると、主に施設長の人が読んでくれていて、昨日もそうだった。

そして、今日は私が読んだ。

 

昨日、図書館で借りていた読み聞かせの本を読み始めた。

でも、途中でやめてしまった。

ああだ、こうだと、小難しいことが書かれている。

子どもたちの読書力を呼び起こすとか、

高邁な目的めいたものを考えると疲れてしまう。

この姿勢、まさに「読み聞かせ」なんだと思う。

私は「読み聞かせ」という言葉が好きじゃないので、

学童保育では「おはなしのじかん」としている。

読む方が上で、聴く方が下では決してない!

 

子どもたちは、飽きずに毎日、

絵本を読むのを楽しみにしてくれている。

人の話は聞かないのに、絵本を読むときの彼らの顔は興味津々だ。

それは、何か言葉に表せないものが、子どもたちに届いている証拠。

だったら、それでいいじゃないかと思う。

技巧はいらない、つたない読み方でもいい!

 

冬休みには、5人の子が、大人の代わりに絵本を読んだ。

2/28にも、ボク読みたいというので、読んでもらった。

 

子どもだけじゃなく、読んでいる自分自身が、

絵本を選んだり、読んだり、子どもたちの反応を見るのが楽しい。

 

「おはなしのじかん」は3月も続く。

でも、昭島の図書館は1か月間休館になり、

国分寺の図書館は15日まで休館になった。

普通なら読む絵本がなくなるのだが、ラッキーにも、

2/28に昭島の分館で、たくさんの絵本を借りることができた。

だから、3月いっぱい、なんとか回せるかもしれない。

 

もし、足りなくなってもやれることはある。

子どもたちに、読みたい、読んでもらいたい絵本を

持ってきてもらえばいい。

 

それに、自分で「おはなし」をつくればいい。

これって、絵本作家へのお誘いなのだろうか?

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