Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』

「ここいまタウン」への歩み

【考える時間・感じる時間】仕事のおぞましさ

『やりがいのある仕事という幻想』(森博嗣著 朝日新書)

から、まず引用します。

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とにかく若者の多くが「仕事」というもので悩んでしまうのは、

それまで仕事をしたことがないからにほかならない。

子どもには、仕事のことをあまり教えない文化がある。

たぶん、子どもには

「大人の世界のいやらしさ」を見せないようにしているのだろう。

そのとおり、仕事はみんないやらしいものだ。

「下賤」な行為だ。

暴力シーンやセックスシーンを子どもに見せないのと同様、

それなりに意味のある配慮だと思う。

 

しかし、どうも大人は「仕事は大変なんだ」と苦労を語りたがる。

そうやって、大人という立場を守ろうとしているのだ。

「お父さんは、こんなに大変なことをしているのだよ」

と子どもに言いたがる。

実に情けないことだ、と僕は感じる。

 

このように非公開と捏造の情報で育った子どもたちが、

やがて就職をすることになるわけだが、

おそらく仕事というものに、最初から怯えているといってよいだろう。

仕事を恐れ、仕事にしり込みしている原因の多くは、

つまり大人の態度にあるといえる。

「もう、これからは遊べない」だとか、

「自分に合った仕事に就かないと人生が台無しになるのだ」

というプレッシャーが沸き起こる。

 

それまでは、テストさえできればよかった。

その他はせいぜいクラスの空気を読んで、

孤立しないように注意していればよかっただけだ。

実のところ、仕事だって、だいたいそれと同じようなものなのだが、

そうじゃない、仕事というのは生易しいものではない、

命懸けで取り組むべきもの、いい加減な気持ちではやり遂げられない、

と大人から散々威されているのである。

無理に例を挙げるなら、まるで戦場に赴くようなもの、

召集令状を受け取ったみたいな感じだろうか。

このように若者にとっての就職とは、結婚と同じように、

今まで未体験で、学校の授業でも詳しく習うこともなく、

大人からは「戦場」なのだと吹き込まれた場へ

否応なく向かわされる行為なのである。

本当に気の毒なことだと、僕は思う。

会社説明会にスーツを着て集まっている若者たちを見ると、

可哀想だなあと泣けてくるくらいだ。

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これはコメントしない「味わいことばノート」として出そうと思っていました。

 

昨日30日の夜、たまたま付けたテレビで「新プロジェクトX」をやっていました。

私も大卒から定年退職まで、一つの企業で働いてきました。

正直、充実したサラリーマン人生だったと思います。

しかし、その末期、「はたらく目的は何か?」という問いに、

納得のいく答えが出てこないという体験・体感がありました。

【考える時間】「はたらく目的」を考えたとき - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』

 

企業戦士とか言われた時代もありましたが、

それは「会社のためになら死んで来い」と言っているようなものです。

それを、さも当たり前のように、吹聴するジャーナリズムがあり、

企業のコマーシャルがあるのです。

「24時間戦えますか?」

戦えるわけないでしょう! 確実に死にます!

 

そんなときの「新プロジェクトX」だったので、

思わずFacebookに、こんなことを書いてしまいました。

そのまま引用します。

 

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テレビをつけたら、たまたま新プロジェクトXをやっていました。

とにかくすごいことをやった人たちです。

しかし、なぜ、20年も前のことをいま称えるのでしょうか。

私は、新プロジェクトXが始まったときに、こんなことを書いています。

たまには勇み足 - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』

 

その人たちは必死にやったことでしょう。

確かに、当たり前はない、その裏にはこんな人たちの努力があるのだ、

ということを伝えるこちは必要かもしれません。

しかし、それなら、もっと身近なところに、

女性や子どもたちの中に、ネタは山のようにあるはずです。

プロジェクトXは、言うなれば、

「家族を顧みず(言いすぎか?)、身も心も会社にささげた男たちの物語」

と言い換えることができると、私は思います。

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『大人になるっておもしろい?」(清水真砂子著 岩波ジュニア新書)

に、こういうことが書かれていました。

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「コマーシャル・ソングは半音が使えないんです。

コマーシャル・ソングというものは、全音だけが求めれれるのです」

(小林亞星)

 

半音がなく全音だけで成り立つ音楽とは、ピアノで言えば黒鍵を使わない音楽。

黒鍵なしに奏でられる曲とは、陰影のない、ある意味単純で明るい、

軽快な音楽ということです。

確かにコマーシャル・ソングに影があったり、ためらいがあっては、

買い手を売りての差し出す商品に走らせません。

コマーシャル・ソングは、消費者の足を止めさせてはいけない。

消費者を迷わせたり悩ませたり、ためらわせたりしたら、

コマーシャル・ソングの役目は果たせないのです。

だって、商品に向かって伸ばした手を止めたり引っこませたりしては、

売り手が困るでしょう。

気がつけば、このコマーシャル・ソングの空気が、

社会全体を覆いつくしてしまっています。

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ネガティブさを蔑み、辛さや悩みを覆い隠す、

あるいは、なかったことにするという風潮は、そういうことかなと思います。

それで、数限りなく多くの人が、現在進行形で苦しんでいます。

 

企業に身も心もささげるなんて、こんなにおぞましいことはない!

今の私は、そう思っています。

 

写真に意味はありませんが、

リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、

手元にあった写真を適当に貼っています。