この本はある意味衝撃的です。
たとえば、コンビニのレジで、現金でお金が払えない人がいるのです。
市役所の手続きのフォームの氏名の欄に、
自分の名前が書けない人がいるのです。
レジに表示された金額を見て、目を財布に落とした途端、
その金額がどこかに飛んでいきます。
フォームのいくつもの記入欄を見ただけで、
頭が真っ白になって何をしたらいいのかわからなくなります。
我が家では、毎朝毎晩、認知症の義母と娘のFace Timeでの会話があります。
実は、義父のほうがもっと厄介なのですが、ここでは触れません。
義母は、リモートの娘の言うことを聞いて、何かを取りに席を立つのですが、
そのあと、自分が何をしにここに来たのかがわからなくなります。
年寄りの認知症ではなくても、そんな感じの人が世の中にいることを、
この本で、初めて知りました。
著者自身が、高次脳機能障害に陥ってはじめて、
これまで取材をしてきた貧困に陥った人たちの
理解しがたい行動作の裏にあるものが理解できたということが、
この本には綴られています。
「働かない」のではなく「働けない」人の真の事情が体感できたのです。
それは、ここに書かれています。
鈴木大介 脳が壊れた僕のできること、できないこと――高次脳機能障害の当事者として|ライフ|中央公論.jp
そういう人たちは、当然ながら、仕事もできないので、
貧困に陥って抜けられなくなります。
そん人たちに対して、世間はあまりにも冷たいのです。
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貧困の最大要因は、やはりシンプルに「働けなくなり稼げなくなるから、
そして再び働く場に戻ることができないから」。
結果、その他の様々な資産・資源を持たざる者は、
必然的に貧困に陥り、抜け出せなくなる。
だが、ここが問題だ。
「なぜ」人は働けないのか。
なぜ、かつて働いていたものが働けなくなるのか。
なぜ就労継続が困難で、なぜ再び仕事に就くことができないのか。
その「なぜ」の解像度が上がらないと、
貧困者に向けられる差別はなくならない。
「働けない」のではなく、「働かない」のではないか?
楽な奴なんてどこにもいない、
みんなギリギリ頑張って稼いで、飯を食って子どもたちを育てているのだ。
働いても生活がままならないものが増えれば増えるほど、
頑張っても報われない「みんな」の母数が増えるほど、
絵に描いたような自己責任論が強く、そこに立ち上がる。
けれど問題は、「脳が不自由」という状況が、残念ながら、
パッと見て働けないようには見えないことだ。
目が見えない、耳が聞こえない、四肢が欠損していたり十分に働かなかったり、
命にかかわる病気や案病・障害の診断を受けているなら、まだわかる。
そうした困難を抱えながら働き続けている人だっているのに、
あなたはそうじゃないだろう。
ではなぜ、働かないのか?
あなたは貧困に陥って当然だし、なぜそんなあなたを、
みんな苦しんで絞り出している血税で養ってやらねばならないのか?
みんな精いっぱいで暮らしているのに、
働かざるものを食うべからずではないのか。
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生活に汲々としている人ほど、働いていない人に冷たいすれば、
それは、個々人の問題というより、政治や社会の問題でしょう。
そんな状況では、生活保護があると簡単には言えないようです。
事務能力がまったくないために、支援を受けても、申請できないだけでなく、
世間の冷たさがゆえに躊躇する人がいます。
それでも、勇気をもって窓口に行っても、
門前払いという過酷な状況が待ち構えています。
生活保護申請「門前払い」の一部始終を20代女性が録音 頻発する「水際作戦」の実態とは | AERA DIGITAL(アエラデジタル)
あまりにも冷たいとしか言いようのないニッポンです。
経済優先の社会、競争社会を、大きく転換する時期に来ています。