とっても示唆に富む本を読みました。
『子どもの体験 学びと格差』(おおたとしまさ著 文春新書)です。
この内容については、これから何度かに分けて書いていきたいと思っています。
初回は、ここ数日書いてきた
【学びの時間】冷たい国ニッポン①~③の続きともいえる内容です。
著者のおおたとしまさ氏が、
『格差の”格”って何ですか?』の著者の勅使河原真衣さんから教わった
この内容が書かれていました。
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1999年に小渕政権のもとで提出された「経済戦略会議」の答申では、
「健全で創造的な競争社会」が提唱された。
日本経済回復のために
「行き過ぎた平等社会に決別し、個々人の自己責任と自助努力をベースとし、
民間の自由な発想と活動を喚起することこそが、極めて重要である」
というのだ。
ここから日本社会は、急速に、
競争社会、格差社会、自己責任社会、個体能力主義社会へと
舵を切ったのではないか。
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「行き過ぎた平等社会」というのが何を意味しているか、
私にはわかりません。
平等というのは、個々の状況にお構いなく、同じように扱うこと、
そのように私には思えます。
であれば、そこになぜ、
「自己責任」と「自助努力」という言葉が出てくるのか、
無理やりどこかに引き込んでいこうとする邪念のようなものが感じられます。
「平等」が行き過ぎたのなら、「公平」な社会を目指すべきでしょう。
「公平」は、みんな同じであるべきだという姿勢ではなく、
個々人の事情に配慮し、個性や経済状況によって損や得することがないように、
みんなにチャンスや選択肢が提供されることと、私は思います。
もう一つ引用します。
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1996年中央教育審議会
「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について(第一次答申)」の内容
体験は、子供たちの成長の糧であり、
「生きる力」をはぐくむ基盤となっているのである。
しかしながら、(中略)今日、
子供たちに生活体験や自然体験などの体験活動の機会を豊かにすることは、
極めて重要な課題となっていると言わなければならない。
こうした体験活動は、学校教育においても重視していくことはもちろんであるが、
家庭や地域社会での活動を通じてなされることが、本来の自然の姿であり、
かつ効果的であることから、
これらの場での体験活動の機会を拡充していくことが切に望まれる。
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これがきっかけで、以降、体験の重要性がたびたび強調されるようになった、
ということなのです。
本書のテーマである「体験格差を考える」につながっていきます。
この二つの答申、何様ですかともいえる「大きなお世話」と感じます。
大きなお世話と書いたのは、いろんな答申が出され、
いろんな政策が打ち出されていますが、
何の役にも立っていないどころか、
競争社会、格差社会、自己責任社会、個体能力主義社会のなかで、
人々は、より生きづらくなってしまっているからです。
日本は共産圏でも、社会主義でもないのに、典型的な中央集権の国です。
地方自治体に権限はほとんどありません。
中央政府は、地方自治体にも国民にも、
「考えなくていい、私たちの言うことを聞きなさい」
そう言っているわけです。
忠誠心のある、聞き分けのいい国民を育てる「教育」なるものを施し、
そこで育った人たちが、公職に就きます。
本来ならば、もっと権限と予算を地方に配分し、
みんなで考えながら、うまくいかなかったら軌道修正しながら、
少しでも多くの人が幸せ感じることができる社会にしていこう!
そんな国の姿勢がほしいのです。
でんと構えて、細かいことには口を出さず、
「みなはん、思うことをやってみなはれ!」と地方に任せて、
主体的な自助、共助を活性化させ、尻ぬぐいは公助でやってあげる、
それくらいの度量で国を運営してほしいですね。
(123)では、オランダ人の子育てについて学び、
この本の始めのほうに書かれているこれらを読んでブログを書き始めたら
こんなことになりました。
たくさん取ったメモを、まだ全然消化できていないので、
ゆっくり向き合いながら、ぼちぼち書いていきたいと思っています。
この本に書かれている内容は、Solの夢につながっているので、
じっくり向き合うことで、
自分の活動にもヒントが得られるのではないかと思います。