『デジタル脳クライシス』(酒井邦嘉著 朝日新書)から引用します。
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書き損じを減らすため、
書き始める前に入念に構成や表現を練っておかなくてはならない手書きより、
とりあえず、書いた後から自由に修正したり切り貼りしたりできる
キーボード入力で書く方が楽だと感じる人は多いでしょう。
しかし、手軽に修正できる便利さと引き換えに、脳内での準備作業が減る分、
事前に適切な言葉を選んで文章を構築する生成力が犠牲にならざるを得ません。
私はワープロソフトを新しいパソコンで使い始めるとき、すべての自動変換と、
スペルチェックや自動校正などのチェックボックスを必ずオフにしています。
自分の意図しない機械的な変換は、
気づかずに放置してしまう方が危険だからです。
(中略)
かな漢字変換に頼り続ければ、比較的簡単な漢字すら手書きで書けなくなります。
身に覚えのある人も多いのではないでしょうか。
手書きで文章を書いていて、
頭に浮かんだ言葉の漢字が思い出せなかったとしましょう。
ひらがな書きがためらわれる場合には、
それをもっと易しい言葉に代えるのではないでしょうか。
そうしたことが続けば、自分で使える語彙が減ることになりますから、
かな漢字変換に頼らざるを得なくなります。
これは悪循環であり、正しく漢字が書けないまま、
変換に頼ってばかりいることに後ろめたさを感じなくなってしまうのです。
たとえば、スマホでメールを打つときなど、
「おはよう」と入力した後に「ございます」などのフレーズが
候補にあがってくるでしょう。
これは入力の履歴やデータベースに基づき、
次に続くフレーズを予測して複数の候補を示す機能で、
急いでいるときは定理文を繰り返し書くには便利かもしれません。
しかし、意図や文脈に合わない候補ばかりではかえって煩雑ですし、
常に誘導されながら書くという行為は創造的とは言えません。
そもそも同じ表現が頻繁に繰り返されることで、
読みにくい文章にもなりがちですから、創作には向かない機能だといえます。
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著者は、AIの利用について良しとしない主張をしていますし、
デジタルの便利さは、人間は退化させるという考えのようです。
私は、そうは思いません。
一方、デジタル偏重はよくないとも思っています。
何事も、「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですね。
だから、デジタルの便利さは十分活用し、
ねばならないではなく、書くことも大切にしています。
スケジュールは従来のダイアリーを使い、
Soi Cafe ノートをいう日記は欠かしていません。
しかし、パソコンでブログを書くのが、
私にとって、とても大切な時間であることは間違いありません。
そのことは、この本を読む前の先日、ここに書きました。
【学びの時間・感じる時間】一人ひとりの物語を大切にして生きる! - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』
私には、キーボードが必要です。
だから、スマホは使っていません。
iPadとガラケーですが、多くはパソコンでやります。
ガラケーで、ショートメッセージを送るとき、
次々に候補を示してくれる機能は不可欠です。
めったにないのですが、使うときには助かっているというか、
それがなければやってられません。
キーボード入力について、著者はこう言っています。
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手軽に修正できる便利さと引き換えに、脳内での準備作業が減る分、
事前に適切な言葉を選んで文章を構築する生成力が犠牲にならざるを得ません。
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アナログでこの年まできたから言えることですが、
デジタルに期待するのは便利さだけで、それで十分です。
ブログに書いたように、パソコンに向かった方が、いろんな発想が出てきます。
確かに、誤変換はたくさんあります。
しかし、最近思うのは、それがかえって頭の体操になるのではないかと。
このブログを書くとき、かつては、2-3度読み返して投稿していました。
読み返すとき、くどい言い方になっていたり、文法的におかしかったり、
誤変換があったり、誤入力があったり、いろんなことへの気づきがあります。
これは、正直手書きしたら、起こらないことかもしれません。
しかし、ずっとパソコンで仕事をしてレポートも書いてきたので、
パソコンがなければ、自分の文章は書けなくなっているのも確かです。
ただ、よくあるのは、読み返して直したり、追加したりしたところに、
誤変換、誤入力などが発生して、
読み返しを十分にせずにそのまま出たこともあります。
この辺りは、著者の言う、この点にあてはまると思います。
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自分の意図しない機械的な変換は、
気づかずに放置してしまう方が危険だからです。
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だからこそというか、最近は、じっくり読み返す時間をとって、
少なくとも投稿までに5回は読み返しをしています。
それは、読み返すたびに、追加でいろいろ書くことになるからです。
すると、読み返すたびに、おかしな言い回しに気づいたり、
よりよい言い回しが出てきたり、発想が膨らんだり、
これも書きたいというよなことが出てきます。
手書きの推敲は、正直いってそんなに簡単ではありません。
へたをすると、全部書き直しということも出てくる、
順番を大幅に入れ替えたいと思うことも出てくるからです。
一方、パソコンでは、それが容易にできるのです。
思考を広げるために、よりよい文章を書くためには、
私のとって、パソコンは欠かせないのです。
その間、頭は働き続けているのですから、それでいいのではないか、
これが、ここまでやって来た私の考え方です。
ただ、子どもたちがそれでいいかとなると、また話は別ですね。
デジタル化のなかで、アナログで生きよというのは現実的ではありません。
過ぎたるは及ばざるごとし、でいくほかないと思います。