Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』

「ここいまタウン」への歩み

【学びの散歩道】子どもたちの将来は大丈夫なのだろうか?(57) 統率力も決まりもない居場所

『子ども若者の権利とこども基本法』(末冨芳編集 明石書店)によると、

2020年2月20日に、やっと日本も、

世界で59か国目の「体罰全面禁止国」となったそうです。

何事も超スローな国ですね、ほんとうに。

 

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子どもの権利条約「四つの柱」

  1. 生きる権利:子どもたちは健康に生まれ、安全な水や十分な栄養を得て、健やかに成長する権利を持っています。
  2. 守られる権利:子どもたちは、あらゆる種類の差別や虐待、搾取から守られなければなりません。
  3. 育つ権利:子どもたちは教育を受ける権利を持っています。また、休んだり遊んだりすること、さまざまな情報を得、自分の考えや信じることが守られることも、自分らしく成長するためにとても重要です。
  4. 参加する権利:子どもたちは、自分に関係ある事柄について、自由に意見を表したり、集まってグループをつくったり、活動することができます。そのときには、家族や地域社会の一員として、ルールを守って行動する義務があります。

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ある意味、至極当たり前のことを言っているに過ぎないと思えますが、

そんな当たり前のことができていないからこそ、

子どもの権利条約というものが存在するといってもいいでしょう。

 

「子どもの権利条約」を批准してから28年もの歳月がかかって成立した

「こども基本法」ですが、この本の巻末に掲載されていた条文を、

斜めですが、読んでみても、いまいちピンとこないのです。

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国や地方公共団体には、こども基本法の6つの基本理念

  1. 差別の禁止
  2. 生命・生存及び発達に対する権利
  3. こどもの意見の尊重
  4. こどもの最善の利益
  5. 教育環境の確保
  6. 社会環境の整備

にのっとって、こども施策を策定、実施する責務が課されている。

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そうなっているようですが、

この「こども施策」が何者なのかがよくわかりません。

 

また、「こども大綱」というのがあります。

  • 少子化社会対策大綱
  • 子供・若者育成支援推進大綱
  • 子供の貧困対策に関する大綱

というのが、既存の3つの大綱です。

 

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これらの大綱は、教育分野についても触れているものの、

子どもを支援の対象と位置付けた福祉的な視点からの施策が中心となっている。

新しく制定されることも大綱には、こどもを権利の主体と捉え、

学校においてその権利を実現するための考え方を示すなど、

既存の三大綱とは異なる視点を盛り込んでこそ、

こども基本法を定めた意味があると言える。

本稿の執筆時点では、こども大綱はまだ策定されていないが、

教育施策、特に学校教育に関して、充実した内容となることを願っている。

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まだ、こんな状況なのです。

この本の初版2023年1月ですから、いまもまだ

「こどもを権利の主体と捉え、学校においてその権利を実現するための考え方」

が、具体的に示されていないということになります。

 

「こども基本法」の実態は、

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こども基本法の目的(第1条)は「こども施策を総合的に推進すること」であり、

基本理念(第3条)も「こども施策」についての基本理念である。

つまり、こども基本法は、(多くは意図的に)拡大解釈されているように、

世の中全体に対して、こどもの権利を確立し、こどもを権利の主体として認める、

というような法律ではない。

 

あくまでも、①国や地方公共団体が、②こども施策に関して、

③こどもを権利の主体として扱う法律である。

 

この法律は、こどもが国や地方公共団体に対して持つ権利についても、

こども施策以外の事項に関する意見表明の機会についても書かれていない。

そのため、例えば、私立学校やフリースクールは、

この法律に基づいて、こどもの意見を反映させる必要はない。

この点は、同じ「基本法」という名称であっても、

教育基本法が「我々日本国民」が「教育の基本を確立し、その振興を図る」と

前文に掲げていることに比べれば、対象が狭いことは明白である。

 

これは、こども基本法の根本的な限界である。

とはいえ、こどもの権利に関する意識が高まることにつながる。

そうなれば、私立学校や民間企業・団体も、社会的な存在として、

子どもの権利を尊重するよう求められるだろう。

その暁には、権利の本質を身につけて成長した「こども」たちとともに、

子どもの権利の一般法としての真の意味でも

「こども基本法」を制定することができるに違いない。

一日も早く、そうした日が来ることを願ってやまない。

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これは、かなり悲しいことです。

子どもたちの幸福度が世界でも最低レベルにあるという事実は、

こどもの権利条約の批准のまれにみる遅さ、

いまだに、子どもの権利を守るための根本的な法律がない、

という、そんな日本の政治や社会が生み出したもの、

と言っても過言ではないでしょう。

 

昨日、「統率力も決まりもない」子どもたちの居場所がある、

ということを聞きました。

「統率力も決まりもない」という言葉に触れた時感じたのは、

「これ、いいね」「こういう居場所をつくりたい」

ということでした。

 

私が思うそんな場所は、子どもの権利が認められている場所です。

一つだけ、条件があります。

それは、多様な年齢の子どもたちが集まるということです。

 

統率力も決まりもない場所だから、みんなが好き勝手をするでしょう。

当然問題が起きます。

問題が起こったその時、その場で、

「では、どうしてそうなったのか、どうしたらいいか、どうしたいのか」

を、みんなで話し合います。

そこで何らかの合意事項が生まれるでしょう。

その積み重ねは、大人がコントロールしない居場所、

子どもたちの主体性・自主性で運営される場所を育むことになると思います。

 

これを実際にやるとすれば、相当の覚悟がいります。

多少の事故やけがは避けられないでしょう。

収拾がつかなくなるかもしれません。

でも、そこに多様な年齢の子がいれば、

子どもたちはきっと、何とか道を切り拓いていってくれると思います。

それを信じて見守ることができれば、

これほど、幸せでやりがいのあることはないでしょう。