『子ども若者抑圧社会 日本』(室橋裕貴著 光文社新書)から、
まだ書くことはいっぱいありますが、
別の本に「ゆがんだ子ども像」の例があったので、まずそれを書きます。
これは、サッカーのコーチングについて書かれた本です。
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「プレス遅れてるよ!」「ラインが下がりすぎじゃない?」
「左が空いているでしょ!」。
多くの指導者がすでに自分が出している「答え」を選手に押し付けるように、
私にもその習性がありました。
選手に何が見えていて、彼らがどう感じ、何を思い、何に危険を感じ、
何に自信を持って判断にいたっているか。
これらのことは、私が自分の答えを押し付けたままでは永遠にわかりません。
(中略)
何を言ってもダメ出しをされる環境では、
人の心はシャッターを下ろし、何も意見しなくなります。
そうではなく、「何を言っても、何をやっても、受け入れてもらえる」
安心安全な環境でこそ、選手たちは成長できるのです。
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その通りなんですが、揚げ足を取って申し訳ないけど、
「何を言っても、何をやっても、受け入れてもらえる」
これは実際には無理でしょう。
そこはやはり、
「何を言っても、何をやっても、受け止めてもらえる」
とした方が、すんなり入ってきます。
「意見を採用してもらえる以上に、意見を言ったことを肯定してもらえる」
それが大事だからです。
著者もそれをわかっていることは、下段の文章からもわかります。
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日本人は、頑張るし、真面目だけれど、
子どもたちに自分で思考する習慣がありません。
意見しても受け止めてもらえなかったり、リスペクトしてもらえない、
大人が持っている答えがすべてという文化です。
私も日本の高校に通ったのでよくわかります。
振り返ると、考えることをやめてしまっていたなと思います。
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『子ども若者抑圧社会 日本』(室橋裕貴著 光文社新書)に戻ります。
「子どもの権利条約」を批准してから、「こども基本法」が成立するまで、
なぜ28年もの歳月がかかったのかがわかります。
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日本政府はこれまで、「子どもの権利」は、紛争などで学校に行けない、
路上で生活したりする子が多い発展途上国の問題で、
日本では十分に守られているというスタンスを取ってきた。
そもそも、日本が子どもの権利条約を批准したのは1994年で、
世界で158番目と遅い対応だ。
今回のこども基本法の成立過程でも、
「子どもに権利を教えたら、学校は大変なことになる」
「子どもがわがままになる」などと、
懸念の声が与党の保守議員などから出された。
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子どもからしたら、日本一わがままな人たちから、
そんなこと言われたら、これ以上ないくらい心外ですよね。
これは明らかに政治の問題ですね。
そして、それを許してきた国民の問題なのです。
こんな頭の固いオッサンは、いまだに生存しているのです。
しかし、それは絶滅危惧種に近い存在でもある、
このことは、時が教えてくれるでしょう。
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権力者にとって都合の良い「民主主義」国家になっていることと、
人権が軽視されてきたことは表裏の関係にある。
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そのあおりを一番受けているのは、子どもたちなのです。
日本の教育を変えて来なかったのは、
自分たちに都合のよい「民主主義」を守るため、
それを許す国民を育てるため、
そう勘ぐってしまいたくなる状況があります。
それに国民は気づいてしまった今日この頃ではないでしょうか。
つづく