【学びの散歩道】子どもたちの将来は大丈夫なのだろうか?(41) 都合の良い「民主主義」のあおり

『子ども若者抑圧社会 日本』(室橋裕貴著 光文社新書)から、

まだ書くことはいっぱいありますが、

別の本に「ゆがんだ子ども像」の例があったので、まずそれを書きます。

 

これは、サッカーのコーチングについて書かれた本です。

 

-----------------------------------------

「プレス遅れてるよ!」「ラインが下がりすぎじゃない?」

「左が空いているでしょ!」。

多くの指導者がすでに自分が出している「答え」を選手に押し付けるように、

私にもその習性がありました。

 

選手に何が見えていて、彼らがどう感じ、何を思い、何に危険を感じ、

何に自信を持って判断にいたっているか。

これらのことは、私が自分の答えを押し付けたままでは永遠にわかりません。

(中略)

何を言ってもダメ出しをされる環境では、

人の心はシャッターを下ろし、何も意見しなくなります。

そうではなく、「何を言っても、何をやっても、受け入れてもらえる」

安心安全な環境でこそ、選手たちは成長できるのです。

---------------------------------------

 

その通りなんですが、揚げ足を取って申し訳ないけど、

「何を言っても、何をやっても、受け入れてもらえる」

これは実際には無理でしょう。

そこはやはり、

「何を言っても、何をやっても、受け止めてもらえる」

とした方が、すんなり入ってきます。

「意見を採用してもらえる以上に、意見を言ったことを肯定してもらえる」

それが大事だからです。

著者もそれをわかっていることは、下段の文章からもわかります。

 

-----------------------------------------

日本人は、頑張るし、真面目だけれど、

子どもたちに自分で思考する習慣がありません。

意見しても受け止めてもらえなかったり、リスペクトしてもらえない、

大人が持っている答えがすべてという文化です。

私も日本の高校に通ったのでよくわかります。

振り返ると、考えることをやめてしまっていたなと思います。

-----------------------------------------

 

『子ども若者抑圧社会 日本』(室橋裕貴著 光文社新書)に戻ります。

「子どもの権利条約」を批准してから、「こども基本法」が成立するまで、

なぜ28年もの歳月がかかったのかがわかります。

 

------------------------------------------

日本政府はこれまで、「子どもの権利」は、紛争などで学校に行けない、

路上で生活したりする子が多い発展途上国の問題で、

日本では十分に守られているというスタンスを取ってきた。

そもそも、日本が子どもの権利条約を批准したのは1994年で、

世界で158番目と遅い対応だ。

 

今回のこども基本法の成立過程でも、

「子どもに権利を教えたら、学校は大変なことになる」

「子どもがわがままになる」などと、

懸念の声が与党の保守議員などから出された。

-----------------------------------------

 

子どもからしたら、日本一わがままな人たちから、

そんなこと言われたら、これ以上ないくらい心外ですよね。

 

これは明らかに政治の問題ですね。

そして、それを許してきた国民の問題なのです。

こんな頭の固いオッサンは、いまだに生存しているのです。

しかし、それは絶滅危惧種に近い存在でもある、

このことは、時が教えてくれるでしょう。

 

---------------------------------------

権力者にとって都合の良い「民主主義」国家になっていることと、

人権が軽視されてきたことは表裏の関係にある。

---------------------------------------

 

そのあおりを一番受けているのは、子どもたちなのです。

日本の教育を変えて来なかったのは、

自分たちに都合のよい「民主主義」を守るため、

それを許す国民を育てるため、

そう勘ぐってしまいたくなる状況があります。

 

それに国民は気づいてしまった今日この頃ではないでしょうか。

 

つづく