【学びの時間・感じる時間】軽んじられてきた人権とバウンダリー(境界線)& 自画自賛

今日の午後、中河原のフチュールで、この講座に参加しました。

その前に、矢川プラスで用事を済ませ、

お昼はステキなカフェでランチしました。

この一見関連のないことが、私にとっては大事なんだと感じています。

なので、前置きが長~くなります。

 

矢川プラスは、私の大切な「きりがみ&きりくずアート」の用事でした。

これは、還暦後の一番の楽しみな活動になりました。

【写真日記】写真いっぱいの夏をイメージしてきりがみしよう!@矢川プラス - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)

 

そのあとは、ステキな空間で、落ち着ける場所でのランチです。

中河原の講座ということで、かつてi-ze(いーぜ)の会で行ったことのある

「カフェ開」で、ランチすることに決めていました。

入ったのは11時15分、ゆっくり食べて読書もし、12時半過ぎに出ました。

 

Facebookに投稿した同じ写真を、このブログにも掲載することにしました。

「粗大ごみ」「濡れ落ち葉」と言われる定年退職後のオッサンが、

こんなことに安らぎを感じ、いいなと思えることは、

人生100年時代のパートナーシップには欠かせないことだと思えるからです。

 

11時半くらいに、熟練の夫婦が入ってきてランチを楽しんでいました。

そんなに会話はないけれど、いい感じのパートナーではないかと思えました。

今日の講座でも、一緒に食事をすることの大切さが語られていました。

 

夕食を共にするということは、我が家では、とても大事なことです。

いまから思うと、私の奥さんは、

私が会社から帰ってくるのを待ってくれていたのです。

当事は、私が帰ってきてから作るのを快く思っていませんでした。

作っておいてくれれば、すぐに食べられるのにという、

昭和男のわがままがあったわけです。

 

私自身、会社人間ではあったけど、会社に魂は取られていませんでした。

それは言い換えると、KY、協調性がないと捉えられていたのですが、

ほとんど気にしていませんでした。

だから、仕事はほどほどで切り上げ、深夜に帰るような生活はしていなくて、

飲み会はよくあったけど、必ず、それは前もって伝えていました。

 

だから、還暦後、2日に1回は私が夕食を作るようになっても、

いまだに同居の息子も含めて、一緒に食事をすることは大切にしています。

それは、息子の関連で、

私の人生の価値観が変わった50歳を過ぎたころを起点としています。

そのため、コロナ以降、Zoom Meetingが当たり前のようになりましたが、

夜のプライムタイム(19-22時)のオンライン会議は、

ほぼ100%お断りしています。

オフラインだったら、心置きなくお付き合いしますが、

家にながら、家族をさておいて、あるいは自分のくつろぎの時間をさておいて、

オンラインするのは、私は嫌なのです。

 

今日も夕食を作り、当然ですが片づけも全部やりました。

掃除・洗濯は、奥さんがいるときはしませんし、

風呂掃除は息子の役割なので、あとは、

ゴミ運びではない、ゴミの整理とゴミ出しくらいしかしていませんが、

還暦後家事をするようになって、感じることがあります。

時間に追われることもなく、ねばならないの家事ではないので。

家事をするということは、心が安らぐ時間でもあることがわかってきました。

 

長い前置きはここまでにして、講座のことを書きます。

この講座自体は、楽しく飽きを感じない場でした。

間を置きながらの、ユーモアたっぷりの講師の語りは、

ある意味深刻な内容でありながら、場を和ませる雰囲気を醸し出しました。

 

講義の途中と最後に、前後の4人で対話する場がありました。

 

「熟年のパートナーシップをどうしたらいいのか?」についての対話では、

講義中に私の中に出てきた言葉を、そのまま語りました。

お互いに、特に夫が妻に「寄りかからない」ということです。

なぜなら、夫婦の問題の多くは、男の側にあると思っているからです。

幸いにも、私は、会社勤めの終盤に、定年退職後の長い人生に気づき、

「会社人から社会人になろう」と思い、行動を起こすことができました。

だから、渡辺裕子講師と同じ、1957年生まれで、8月に67歳になる私は、

今やりたいことが、たくさんあります。

退職後には縁が切れる会社の仲間以外に人脈がないことに気づき、

多くの人たちと接してきて、立岡を卒業したSolがいます。

だから、「粗大ゴミ」「濡れ落ち葉」にならずに済んでいます。

 

これぞ自画自賛!以外の何物でもありませんが、

一方、世間は、いまだに昭和を引っ張っているのを見ると愕然とします。

何のためにいま「プロジェクトX」を復活させるのか、

それはおかしくありませんか!というのも、ここに書いた通りです。

たまには勇み足 - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)

 

講義中に思っていたのは、「卒婚」に関する本、

「伊藤裕子」さんの本、「原沢修一」さんの本があれば、

読んでみようということです。

原沢さんの本は、国立国会図書館にしかないようなので難しそうですが、

あとの二つは借りられそうです。

 

今日の大切な言葉は「バウンダリー(境界線)」です。

私は、「バウンダリー」=「人権」と捉えました。

 

今日の講義の中で一番響いたのは、「0歳児のバウンダリー」のエピソードです。

なぜかというと、いまこのブログに書き綴っている

「子どもの権利条約」「こども基本法」に通じるものがあるからです。

【学びの散歩道】子どもたちの将来は大丈夫なのだろうか?(42) なんちゃって子どもの権利保障① - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)

ここに書いたように、「子どもの権利条約」では、

0歳児にも人権があると言っています。

 

子どもは、親の所有物ではありません。

妻は、夫の所有物ではありません。

しかし、昭和のオッサンは、それを勘違いしてきたのです。

私も、小さいころ、跡取り息子だといわれてチヤホヤ(?)され、

妹は、「なんで私は?」と僻んだこともありました。

男子厨房に入らずと教えられてきたのです。

今どき、そんな男子は愛想をつかされますね。

娘婿は、かいがいしいこと、この上ない感じです。

 

バウンダリーを大事にすることは、夫であれ妻であれ、

子どもであれ、それぞれに人格があり、人権があり、

それを尊重するということです。

 

日本は、世界の中でも有数の「人権を大事にしない国」ではないか、

そう思えることが、山のようにあります。

弱者に重圧を押し付けることで、

これまで社会を成り立たせてきたといっても過言ではありません。

その弱者の一つが、女性であったわけです。

朝ドラの「虎と翼」の時代が、いまも尾を引いています。

しかし、もう限界に来ているでしょう。

 

そのことを、【学びの散歩道】で書き綴っている今日この頃です。