①には、怠慢ともいえる政治に言及しました。
さらに書くと、子どもの権利条約をそのまま受け入れてしまうと、
これまで自分たちがやってきた政治の否定になります。
外圧でにっちもさっちもいかなくなるまで、ガンとして動かないのです。
しかし、それでも動くふりをして、
目先をごまかすすり替えをするのが、これまでの自民党ですね。
気を取り直して、引き続き
『子ども若者抑圧社会 日本』(室橋裕貴著 光文社新書)から引用します。
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日本の学校では、子どもの権利をきちんと理解せず、尊重していないために、
子どもの発達に大きな弊害が出ている。
その一つが、幼少期から民主主義を経験できないがゆえに、
社会参加や政治活動の意欲が失われている点である。
日本では「自分の行動で、国や社会を変えられると思う」という感覚
(政治的有効性感覚)が非常に乏しく、
実際、政治や社会に参加する国民は少ない。
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これが、自分党政治が続いてきた大きな理由ですね。
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なぜこの有効性感覚が乏しいかというと、
幼少期から自分の声が大事にされた経験が少ないからである。
政治活動が活発なヨーロッパやアメリカでも、
先天的に自分には社会を変える力があるという感覚を持っているのではなく、
実際に集団の中で意見を発し、それが受け入れられた経験を何度も重ねた結果、
自分には社会を変える力があると自信につながり、
積極的に政治や社会に参加するようになるのである。
しかし、日本では義務境域過程で、参加の意欲を増すどころか、
マイナスの影響を受けて、参加の意欲を削がれている。
なぜなら、児童・生徒にとって最も身近な社会である「学校」の場が、
自身(児童・生徒)の意見を尊重してもらう
民主主義の場になっていないからである。
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また、「人権」の定義をゆがめてきた現実があります。
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これまでの日本の子ども。若者施策の中心にあった
「子ども若者育成支援促進法」(2010年試行)では、
ニートや引きこもり等の困難を抱える子ども・若者への支援を
主に想定しており、一般的な子ども・若者に焦点が当たっていない。
法律の名前自体に「育成支援」が入っていることからもわかるように、
対象はあくまでも支援保護対象者としての「子ども・若者」であり、
社会の問題としての「子ども・若者」像である。
しかし、子どもの権利の考え方では、
子どもを単に未熟者として救うのではなく、
一人の人間として意見や権利が尊重される存在
「権利の主体」として扱うことが重要とされている。
それが、子どもの主体性を伸ばし、
人らしく生きられることにつながるからである。
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日本政府のやることは、ほとんどが対処療法なんです。
ニートや引きこもりを何とかしないでいいとは言いませんが、
なぜニートや引きこもりになるのか、
そこを考えずに対策と称してやっているとしか思えないのです。
根本は、子ども・若者を「権利の主体」として扱うこと、
それがやっと、動き始めたようです。
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こども基本法では、子どもの権利条約と同じように、
子どもが権利の主体として認められ、
「生命、生存及び発達に対する権利」「児童の最善の利益」
「児童の意見の尊重」「差別の禁止」の4つの一般原則を定めている。
例えば、これまで理不尽な校則、いわゆる「ブラック校則」を変えようと
児童・生徒が声を上げても十分に尊重されず、
その後声を上げることを諦めてしまう子どもが大勢いたが、
こども基本法の施行後は、
「自己に直接関係するすべての事項に関して、意見を表明する機会」
を確保されることが求められるようになる。
政策決定過程では、子どもに直接影響を与える施策を策定する際は、
子ども・若者の声を聞くことが政府や地方自治体に義務付けられた。
(第十一条)
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この本からの学びはこれで終わりですが、私個人としては、
これからもう少し「こども基本法」について学んでみたいと思っています。
「こども基本法」では、
「子ども・若者の声を聞くことが政府や地方自治体に義務付けられた」
となっていて、その通りできれば問題ないのですが、
それができるまでに、相当時間がかかりそうだ、
そう思える状況が現実にあると思っています。
写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
手元にあった写真を適当に貼っています。