『おとなが育つ条件』(柏木惠子著 岩波新書)から引き続き学びます。
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過労死は、長時間労働の結果と思われがちですが、それだけではありません。
労働時間だけみれば、男性よりもフルタイム既婚有子女性の方が長いのです。
彼女たちは、職業労働以外に家事育児労働もしており、
トータルで実に長時間労働、彼女たちのほうが明らかに過労です。
ところが彼女たちは過労死しない ―過労死は過労自殺も含めて99%男性です。
なぜでしょうか。
産業心理学の研究は、この事情を実証的に明らかにしています。
すなわち、同一の作業に長時間従事することは、心理的疲労を招き、
作業効率の低下、注意散漫、エラーの多発、
作業とは無関係な妄想などを多発させます。
過労死は、まさに、
単一の仕事を長時間していることで行き着く最悪の結果なのです。
このことは、誰もが日常経験しているものです。
何であれ、同じことをずうっとしていると、
飽き飽きする、気が散る、エラーが増える。
そこでちょっと一休みして別なことをすると、気分転換になる、
またやる気が起きる、やり方のアイデアが浮かぶ、などです。
誰もが知っているこの当たり前のことが、職業世界では通用しないのです。
時間を気にせず延々としごとをしている人が、
勤勉だとか、しごと熱心だなどと評価されたりしていませんか?
このような見方が、定時退社も休暇取得もままならず、
しごと一筋の人間を作り出すことになるのです。
しかし、しごとは質量とも低下し、
働き手の心身の健康も家庭生活も損なわれることになっているのです。
フルタイムで働く子育て中の女性は、トータルでは長時間労働をしています。
そのことが上のような心理的疲労やネガティブな結果を起こさせない、
「過労死」することはないのです。
しごと一筋は決して誉められたことではない、
むしろおとなの心身の安定と発達を阻害する生き方です。
日本の男性よりずっと多く育児をしているアメリカの男性は、
日本男性よりずっと
「毎日の生活にハリがある」「父親としての自分が好きである」と答えています。
「男はしごと」ではない、
親としてのアイデンティティと育児もする生活の意味を考えさせられます。
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「過労死」とは、いったい何なのでしょう?
私にはわかりません。
なぜかというと、
私は、過労死するまで働くということの意味が分からないからです。
そんな私が想像するのは、「一人で抱え込みすぎる」ということです。
それは、会社の問題だけど、それは自分の責任だと思ってしまう、
精神的不健康の状況に陥ってしまった結果だということです。
まさに、人権がない世界です。
いま、政局とかで、みんな忙しそうですが、
なんだか、よその世界のように思えます。
いまの日本で一番大事なのは、憲法で定められている「基本的人権」なんです。
社会全体として、個の「人権」「尊厳」が軽んじられてしまっている、
そこに、いまの日本人の不幸、いや幸福感のなさはあるんだと私は思います。
以前にメモして、いつか使うかもしれないと残しておいたものがあります。
『斎藤一人 令和の成功』(斎藤一人著 Gakken)より
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ある会社で部長をしている女性がいて、こんなことをこぼしていたの。
「部下からは、”もうこれ以上の仕事は抱えられません”と泣きつかれ、
私の仕事は増えるばかり。
人員を増やしてほしいと上に訴えても、”何とか努力して”と取り合ってもらえない。
こんな板挟み、もう嫌です....」
あのね、これも難しく考えるからいけないんです。
仕事って6割の力でやるのがちょうどいいんだよ。
そうすると無理な仕事なら残っちゃうけど、それでいい。
で、明日も無理な仕事なら残す、明後日も無理な仕事なら残す....って、
仕事を山積みにしてごらん。
間違いなく、会社は考えてくれます。
仕事が回らなくなったら、会社は考えざるを得ないけど、
回っているうちは、上役(社長)は何も考えてくれないんだ。
(中略)
社長の仕事は、仕事が回らなくなったところを何とかすることなの。
回っているところを何とかしようとは思ってないんです。
多すぎる仕事は、こなさないで残しちゃえばいい。
それが一番簡単なの。
そもそも限界以上のことは、残っちゃうのが当たり前だしね。
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こんなお気楽な状況があれば、過労死なんて起きることはないでしょう。
しかし、過労死は起きているのです。
「死ぬほど、会社に身をささげてどうする!」と言いたいところですが、
それを言っても何解決にもなりません。
「家庭」が、1st Placeです。
「職場)は、2nd Placeなんです。
それが逆転してきたのが、これまでの日本という国です。
かつては「滅私奉公」という言葉がありました。
ついでに言うと、自民党政権というのは、
いまだに、それを引きずっているようにしか思えません。
このことは、また後日書くことになりそうです。
「職場」って、閉じられた世界です。
自分の仕事が、社会のどんな役に立っているのか、正直わかりません。
しかし、「家庭」に目を転じてみれば、
そこには生身の人間がいます。
喜怒哀楽があり、悲しみもありますが、多くの喜びもあります。
人間というものは、「生身」の存在なのです。
生身の人間同士が触れ合う状況は、生身の人間としての命を救ってくれる、
そう思います。
自分の身を捧げるのは「仕事」ではなく、周りの「生身の人間」なんです。
捧げるという言葉がよくないですね。
自分を大事にするからこそ、周りの生身の人間を大事にできるんです。

写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
手元にあった写真を適当に貼っています。