『人生は生い立ちが8割』(ヒオカ著 集英社新書)
山口慎太郎(東京大学大学院経済学研究科教授)との対談
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ヒオカ: 「日本語の「自己責任論」っていうニュアンスは、
外国ではあまりない独特の考え方という話を聞いたことがあります」
山口: 「それは確かに、私も耳にしますね。
アンケートなんかでも、
貧しい人とか困った人を政府が助けるべきかみたいな質問に対して、
日本は圧倒的にノーが多い。
そういう感覚はデータにも出ていますね」
ヒオカ:
「弱者に対して基本的に社会とか政府がコストを払うということ自体が、
あんまりいいことだと思わない風潮はあります。
あんまりというか、ものすごく反感を買う、といった方が正解かもしれません。
バリアフリーに対する考え方もそうです。
駅の乗車券の金額をちょっと立ち上げて、
バリアフリー化を進めることになるとすごく反発があります。
一部の人を助けるために全体がコストを払うことに対して、
すごく拒絶反応があるのは感じます」
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日本人が、こんなにも、人に対して不寛容になってしまったのは、
日本社会が、個人に対して不寛容になってしまったからでしょうか?
そう思えてしまいます。
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私たちが想像するよりはるかに、
人生は、自分の努力や選択の範疇の ” 外 ” で決まる。
遺伝、生育環境といった生い立ちで8割が決まるといっていい。
いまだに世間では、
有名人の箸の持ち方や食べ方などが格好の非難の的となる。
生まれの「卑しさ」を馬鹿にする風潮は根強く、
逆に名家や良家といわれる人たちを持ち上げ、
そだちの良さを持ちはやす文化は根強い。
でも、育ちのよさも卑しさも、本人の手柄でも責任でもないはずなのに。
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人を非難する人は、完璧な人なのでしょうか?
いや、できないことが多いからこそ、
できる部分で弱い者いじめをしているのでしょうか?
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よく考えてみてほしい。
容姿、地頭、正確、気質、健康状態、習慣、体力、...、
自分で取捨選択したものがどれだけあるだろう。
物心ついたときには、もう決まっていた部分が多い。
良識や常識的感覚といいものですら、
身を置いてきた環境によって形成されたかもしれない。
でも、自分が動かせる部分は2割しかない、
という後ろ向きなメッセージを伝えたいわけではない。
個人の努力ですべてか解決できるという前提に立った社会は、
自助を原則とした社会だ。
政治の責任よりも、個人の努力が強調され、苦しい立場に立たされる人は、
みな「自分のせい」「個人の努力の帰結」と切り捨てられる。
一方、個人の努力や選択ではどうにもできないことのほうが多い、
という前提に立てば、公助の必要性や責任が大きくなる。
生まれによる凹凸を均すことが政治の大きな役割になる。
どんな親のもとに生まれても、機会や選択肢が奪われないように、
公が介入する必要が出てくる。
福祉や教育など、公の支援や耐性つくりが必要で、その責任は明確に政治にある。
何もしなければ、生い立ちで8割決まってしまうのだから、
政治によって、社会を変えることによって、
それを7割、6割、5割にしていこう、と言いたい。
わたしは、そっちのほうが、みなが生きやすい社会になる気がするのだ。
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いまの社会は、みんなしてハードルを上げて、
みんなして苦しみもがいているのではないかと思います。
世の中には、「やらない」「怠けている」人は、
それほど多くないのかもしれません。
「やりたくてもできない」「どうしていいのかわからない」
そういう人たちが、数多くいるのではないでしょうか。
この問題は、もっと関連する本を読んで学んでいきたいと思います。

写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
手元にあった写真を適当に貼っています。