あまり深く考えずに、(102)を書きましたが、
3つのポイントのうちの「勉強」について、
別の本に興味深いことが書かれていたので、その流れで続けます。
その本は、こちらに書いた、
【学びの散歩道】子どもたちの将来は大丈夫なのだろうか?(99) 学校依存社会 - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』
『学校に染まるな!」(おおたとしまさ著 ちくまプリマー新書)です。
引用します。
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なぜ勉強しなくちゃいけないの?
というのは誰もがいちどは抱く定番の問いだとは思いますが、
それはあくまで素朴な疑問であって、
納得できる理由が得られたら勉強しよう
と思って聞いているわけではないですからね。
つまり、この手の問いって、答えを求めた問いではないんです。
問うこと自体に意味がある。
考え続けることに意味がある。
ときにそれが生きるテーマになる。
そういう問いが世の中にはたくさんあります。
ひとはなぜ生きるのだろう?とか、しあわせってなんだろう?とか。
そういう問いに出くわしたときには、面白い問いだねぇとでも言って、
うーん、うーんとうなりながらいっしょに考えればいいんです。
答えなんかでなくても、
面倒くさいときはいっしょに考えるふりをしておけばいいです。
そういう大きな問いに迫るために学問があり、勉強があるともいえます。
大きな問いに少しでも迫りたいと思ってやる勉強は楽しく感じられるはずです。
というよりも、
人間はつい大きな問いに気づいてしまう本能を持っている生き物です。
(中略)
この宇宙はどうなっているんだろうと思いを巡らし、精げ考え、学びます。
本能だから、理由なんて必要ありません。
なのになぜ勉強しなくちゃいけないの?
という問いが浮かんでくるということは、
本来なら本能的にやってしまうことに違和感が生じているということです。
考えてみれば、なぜ学ばなきゃいけないの?とは、あんまり聞きませんよね。
内なる好奇心に導かれて「学ぶ」ことと、
「強いて勉める」って要するにやらされる構造の違いですね。
「勉強」という言葉が持つ強制的なニュアンスに気づいて、
「なぜ学びを強制されなきゃいけないの?」と問うているわけです。
(中略)
つまり宿命的に学校は、
学びをつまらなくする装置としての役割を担っているのです。
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なぜ、学びをつまらなくするのでしょう?
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宇宙物理学に魅せられて時間を忘れて図書館の本を読みふけるようなひとは、
本来ものすごく学びの意欲の強いひとだと思いますけれど、
物理だけ100点満点でも、ほかの教科がぼちぼひだと、
さほど勉強のできない生徒だと見なされてしまいます。
逆に、これといった学問的な興味はなくても、競争心が強く、
受験科目についてまんべんなく努力ができて、苦手分野が少なく、
効率的な得点をする術に長けている生徒の方が優秀な生徒だと認定されます。
100点満点の教科別のテストの総得点を争う入試では、
物理では120点を取るくらいすごい余力があっても、
テストは100点満点止まりです。
だから、好きなことばかりやらないで、
少しは苦手な英語を克服しなさいと大人たちから言われて、
英語に時間を割かなければならなくなります。
大好きで得意な物理をもっと勉強すれば、
150点相当の力がつくはずだったとしても、
40点の英語の点数を60点に引き上げるために、
それ以上の時間を使わなければならなくなります。
それって、本人がつらいだけでなくて、社会にとっても損失じゃないですか?
100点満点という天井が、社会の可能性に蓋を知ってしまっているわけです。
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【学びの散歩道】子どもたちの将来は大丈夫なのだろうか?(95) 学校とは何か?③ ゲーム機より怖い? - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』
このブログに書いたこの言葉が思い出されます。
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将来のためにといって学校で学ぶことの多くが、
その暮らしのうえで実質的な意味において使われるのではなく、
学校・社会システムを渡っていくための制度的な意味においてのみ使われる。
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「勉強とは、学校制度を上り詰めるためにやること」だと改めて感じます。
もっと得意を伸ばしましょう!
この例で行けば、「物理」だけやってもいいとじゃないですか。
物理に関する本や論文を読むためには、国語力が必要です。
学びを進めれば、国内の文献だけでは満足できなくなります。
海外の文献を読むためには、英語は自ずと学ばざるを得なくなります。
さらに、英語で論文を書く必要も出てくるでしょう。
物理の得意で学びを深めていけば、英語もきっと得意になってくるでしょう。
そんな学びができる教育システムが必要なんです。
スポーツだって同じです。
一流になっている選手たちは、人格も教養も備えていますね。
苦手を克服するのではなく、得意を伸ばす教育が必要なんです。
写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
手元にあった写真を適当に貼っています。