『子どものリアリティ 学校のバーチャリティ』(浜田寿美男著 岩波書店)
から引き続き学びます。
(94)のキーワードは、
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バーチャルでしかない制度的意味が、
子どもたちのその後のリアルな人生を左右する。
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でした。
そのバーチャルな学校制度について、さらに深めていきます。
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将来のためにといって学校で学ぶことの多くが、
その暮らしのうえで実質的な意味において使われるのではなく、
学校・社会システムを渡っていくための制度的な意味においてのみ使われる。
そうなっている現実のなかで、
「子どものいま」が、その「将来」によって奪われているとすれば、
あまりにも惨めではないか。
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ここに、いまの学校制度のあり方の問題の本質が書かれていると感じます。
学校に行って学ぶのは、まさに将来のためなんです。
でも、そこで学んだことは、将来役に多雨のでしょうか?
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いま子どもたちが夢中になるゲーム機などは、それそのものが
「直接的、具体的な世界を離れた人工物」であるだけでなく、
それに働きかけた結果として返ってくる反応そのものが、
また人為的でしかない。
そういう遊びとなると、そのバーチャリティがやはり気にかかってくる。
子どもたちがこれで遊ぶ時、なるほどそこには具体的な働きかけはあるし、
そこに苦労も工夫もあり、それゆえのおもしろさもある。
しかし、そこから返ってくるの反応は、あくまで人為のプログラムを経ている。
そこにあるのは具体的自然への直接経験ではなく、
せいぜいのところ、それを模擬する疑似体験でしかない。
ゲーム機などより、むしろ学校という制度のほうがもっと怖い。
制度こそは人為の網の目である。
学習したことが、生身の生活に使われ、そこで意味を持つのではなく、
試験の点数に換えられ、それが子どもの生きる道さえも左右することになれば、
具体的直接体験を通して得た生き生きした知さえも、
人為のスクリーンを通り抜けるなかで干からびてしまう。
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ここに、不登校が増え続ける第ゼロ次の原因があると思います。
それは、学校そのもののあり方です。
学業だけでなく、
自然を、そして自分を体感できる学校があってもいいはずなのです。
写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
手元にあった写真を適当に貼っています。