この本に書かれていたエピソードです。
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2018年7月 西日本は記録的な豪雨災害に見舞われた。
その被害がもっとも大きかった地域の一つが岡山県総社市。
大災害に見舞われた翌日、同市のある高校生が、
ツイッターで市長にこんなメッセージを送った。
「突然失礼します。これを見る暇はないかもしれませんけど...。
私たち高校生に何かできることはありませんか?
配給の手伝いなどできませんか?
何かできるかもしれないのに家で待機しているだけというのはとても辛いです。
子どもだからできることは少ないかもしれないです。
でも、ほんの少しでもできることはないですか?」
同市長は、このメッセージにすぐさま反応。
「総社市役所に手伝いに来てください」
とツイッターでつぶやいた。
翌日の朝、1000人を超える高校生のボランティアが市役所に集結した。
総社市の高校生はぜんぶ合わせても2000人。
総社市以外の友だちも引き連れて、
寸断された交通網のなかを自力でやってきた。
中学生や小学生まで集まった。
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検索してみると、これが出てきました。
このステキなエピソードのあとに書かれている内容を、
特にコメントなしで書いてみました。
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総社市では、その前々年に九州で熊本地震が発生した際に、
いち早く支援員を同地へ派遣するなど、
地域の垣根を越えたつながりの構築に取り組んでいた。
子どもたちの力を引き出す環境を作っていくのは、大人の役目。
ある問題に直面したとき、自分自身の能力で、その解決が不可能なら、
その能力に長けた人をインターネットで探してきて、事態に対処する。
自分に足りないピースがあったとき、わざわざ時間と手間をかけて、
そのピースを自分でつくり出すよりは、そのピースを外部から探してきて、
さっと手早く埋め合わせてしまう。
現在の若者たちは、そんな能力に長けている。
努力とは何か?
生まれついた資質や才能に差があることは否定できない。
しかし、本来は、その能力が足りない部分を補う営みこそ、
努力という言葉の意味するところ。
現在の若者たちは、シェアの世代ともいわれる。
内実のよくわからない異次元の目標にためになどではなく、
その営みの過程それ自体を楽しむことで、
努力をつづけられるようにしてみるのも一つの手ではないか。
それは何か特別の目標を実現するための人間関係ではなく、
関係そのものを楽しむ自己充足的な人間関係を紡いでいくことでもあるはず。
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未来は明るいですね。