先々週の金曜日の時点で、図書館から借りている本がなくなりました。
翌日の台風についてのブログには、こんなことを書きました。
しわ寄せで成り立つ社会システム - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)
翌日の台風直撃するはずだった金曜日、子どもたちが一人も来なかったら、
ぽつんと一人の教室で本を読もうと思って、持って出た蔵書の一つがこれです。
この本からの学びは、このふたつのブログに書いています。
【学びの時間】不可思議な昨今の日本の状況① 若者の生活満足度の高さ - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)
【学びの時間】不可思議な昨今の日本の状況② 諦めからの満足感 - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)
「宿命」と「努力」について、本の冒頭の言葉をそのまま引用します。
(この本の出版は2019年)
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皆さんは「宿命」という言葉から、何をイメージされるでしょうか。
どんな人生を思い描かれるでしょうか。
おそらく現在40代から上の人たちにとって、それは、自分の人生を縛り、
不自由なものにする桎梏(しっこく)と
捉えている場合が多いのではないでしょうか。
しかし、現在30代から下の人たちにとって、
それはむしろ自分の人生の基盤となり、
そこに安定感を与えてくれるものと捉えられるようになっている場合が
多いように見受けられます。
では、努力という言葉についてはどうでしょうか。
おそらく現在40代から上の人たちにとって、
それは自分の能力や資質の不足分を補うための営みと
捉えられていることが多いでしょう。
しかし、現在30代から下の人たちにとって、
それはむしろ自分の能力や資質の一部を成すものと
捉えられる場合が多いと見受けられます。
努力できるか否かも、
また自分の素質の一部とみなされるようになっているのです。
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私には判断できませんが、
「親ガチャ」という言葉が聞かれるようになった今、そうなのかもしれない、
何か諦め感のようなものがあるのかもしれない、
自分ができないのは持って生まれたものと思っているのかも、
そう思えたりもします。
その諦めというのは、ついてしまった差はいつまでたっても埋められない、
そんなものなのでしょうか。
1990年の初めにバブルがはじけ、長期デフレに陥って、もう30年です。
30代から下の人たちは、景気のいい時代を知らないのですから。
これからに諦め感を抱いている親や大人たちを
見てきているからかもしれません。
次の引用はこれです。
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1990年代にGDPの変化が横ばいへ転じると、
生活満足度もいったん大きく下降します。
その後2000年代に入ってもGDPの変化はずっと横ばいのままですが、
生活満足度のほうは、再び上昇しはじめます。
経済的な豊かさと生活満足度が相関しなくなっているのが、
1980年代から今日に至るまでの特徴なのです。
博報堂研究開発局は、このような動きを捉えて、
所得=モノを消費する力の差によって、
豊かさに差がつく「格差社会」はすでに終焉したと指摘しています。
そして、モノを手に入れなくても、じゅうぶん楽しんでいる人がいる、
あるいは、同じモノを手に入れても、楽しめる人と楽しめない人がいる、
さらに言えば、モノではなく個人の「楽しめる力」や
「楽しもうという動機の強さ」によって、
「生活の豊かさ」に差がつく社会が訪れていると述べて、
それを「楽差社会」と命名しています。
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これもわかるような気がします。
この本に載っているデータなどからも、
上を望む若者は少なくなっているようですから。
時代は、大きく変わりつつあると感じられます。
同じ日に持って行った『風の時代』(yuji著 講談社)には、
このように書かれています。
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風の時代は、
土の時代の物質的なところに価値基準の中心が置かれることから離れ、
「空気感」や「精神」といったものが価値をもち、
人の意識のフォーカスもそこに行っている。
more and more ⇒ less is more
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私個人的には、この時代の変化は、ポジティブに捉えています。