『長期期リスク』(春日キズヨ著 光文社新書)から、引用します。
引用①
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こうした話を聞く中で、だんだんわかってきたのは、
高齢者の妻たちが、たび重なる骨折や腰痛、病気などで、
自分の身体さえままならない時点でも、
次のような関係である場合が少なくないということだった。
妻だけが食事作り、家事などのケア役割を担い続けている。
夫が妻に協力し暮らしを支えるどころか、
自分でできることも妻にあれこれ指示・命令し、
それによって妻の負担がさらに重くなっている。
そうした妻の苦境に、夫が思いをいたすこともなく、無頓着である。
夫婦間のコミュニケーションが乏しい。
次にわかってきたのは、離れて暮らす子どもたちと両親との関係である。
話を聞いたのは、時々親元に日帰りで行ったり、会食や旅行をともにするなど、
親子間の交流が保たれている人たちだった。
にもかかわらず、子世代が親夫婦の生活に深く触れ、暮らしの実情を知ったのは、
両親の生活がいよいよ立ち行かなくなり、親の家に「泊り込んだり」
「近い距離間で接したり」することが迫られた時点であることが多い。
さらにもう一つ分かってきたのは、
その時点で子世代が初めて深く接することで見た親夫婦の関係が、
戦後生まれの60代、70代前半までの子世代女性にとって見知らぬもので、
彼女らが持つ夫婦間や家族観とは異なるという事実だった。
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引用②
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主治医のススメや息子、娘の強い要請で、介護保険を申請し、
要介護認定を受けはする。
しかし、サービス利用には至らない。
利用しても中断する。
または、ホームヘルパーに掃除だけ頼むが、食事つくりだけは妻が続ける。
夫婦ともに低サービスは利用しない。
そうした形で、外部からの支援を受けることに抵抗感を持ち、
慣れ親しんだ暮らしを、自分たちだけで続けようとする。
そんな夫婦がけっこう多い。
生活の利便性よりも、人付き合いが苦手な親にとっては、
自宅が「いちばん落ち着き」快適。
だから、拒否。
母親にとっても、夫婦で通うことになれば、
夫の「通所準備」の世話が生じ、新たな負担となる。
自分だけが利用した場合、その間の夫の世話はどうなるのか、
それが気にかかる。
ひとり暮らしの場合なら、本人の選択しだいとなるが、
夫婦二人暮らしの場合、それができない。
「おじいさんが”嫌”というから、行けんわぁ!」と夫しだいの流れになる。
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引用③
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どんな支援があるのか、そのためには、
どこでどのような手続きをすればよいのか、
お金はどれくらいかかるのか、支援者は信頼できる人物か、などなど、
細々としたことを判断し決定するためには、
長年の暮らしのなかで培われた経験知(知恵といってもいい)が必要となる。
しかし、妻に「全部任せてきた」夫は、それを判断する力を持ち合わせていない。
それに妻の健康状態や気持ちを読み取る力が乏しいために、
力を失っている妻に以前と同じように依存し続ける。
そして結局、支援が入らないままの暮らしになってしまう。
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引用④
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80代半ばまでは「二人で野菜作りをし、
買い物もいっしょにシルバーカーを押して近くのスーパーに通い、
地域の人から「仲がいいですねえ」と声をかけられるような生活。
80代半ばに父親が「軽い心筋梗塞」に罹り、その後、他の病気にも。
それをきっかけに、父親の体力が、がたっと弱る。
その中で妻に指示・命令して用を足す、あまり動かない生活になっていく。
一方、母親も85歳で病気をし入院、手術。
その後、圧迫骨折をくり返すなどで腰痛がひどくなり、
立位も歩行も不自由になる。
にもかかわらず、夫の体力低下に伴い、
増え続ける「夫の世話」と家事に追われる生活になっていく。
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夫という生き物は、なんとも厄介な存在、疫病神のようなものですね。
私は、「おい、お茶!」なんて言おうものなら、
ぶっ飛ばされるに違いないので、しばらくは大丈夫です。
家事も少しばかり分担していることもありますし。
ただ、義理の父母のこれからがとても気になります。
上記のような老夫婦の構造にはなっていなくて、
80代半ばの認知症の妻を90歳の夫が支えている形です。
私たち自身も、人の世話になることには、たぶん抵抗がないので、
状況に応じて、考えていこうとは思っています。
ただ、自分がそういう状態になったとき、
年より扱いされるのがとっても嫌だ!と確信が持てます。
だからこそ、がんこジジイにはならないようにしないと!
認知症になると、施設に入らない限り、
本人はいいかもしれませんが、生活は成り立たず、
周りがとても耐えられなくなることは、経験上わかります。
だから、老化は誰もが通る道とはいえ、大事なことが二つあると思います。
一つは認知症にならないことです。
そのためには、身体を動かすこと、特に散歩すること、
学び続けること、それをアウトプットすること、
そして、人との接点を保ち続けることです。
もう一つは、ヨボヨボにならないことです。
写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
手元にあった写真を適当に貼っています。