『宿命を生きる若者たち』土井隆義著 岩波ブックレット
から、引き続き学びます。
以下要約です。
------------------------------------
30代から下の人たちにとって
- 「宿命」とは、自分の人生の基盤となり、そこに安定感を与えてくれるもの
- 「努力」とは、自分の能力や資質の一部を成すもの、努力できるか否かも、自分の素質の一部
ということのようです。
博報堂生活総合研究所「子ども調査」によると、
- 2000年代以降、友だちより家族のほうが大切
- 大切な話をする相手も、友だちより親
- 友だちとの時間よりも家族との時間を増やしたい
という回答が増えている。
しかし、家族からの承認だけでは自己肯定の基盤としては小さすぎる。
そこで、生得的属性をともにする人間関係として、
次に登場してくるのが地元のつながり。
現実には多種多様な人びとが混在している地元を母体としたつながりではなく、
インターネットのフィルターで濾過されて同質化された
ジモトを母体としたつながり。
幼馴染のような交友関係は、自らが選択したものというよりは、
自分が生まれた場所に由来する地縁。
したがって、自分の生得的属性の一部と感じられる。
こうして生来的な素質を重んじる根源的な自分の確認作業は、
生来的な関係に由来する根源的な仲間の確認作業へと移っていく。
そこで求められているのは、
いつ踵を返されるかもしれない気ままな友だちからの一時的な承認はなく、
生得的属性をともにするがゆえに、
けっして期待を裏切らない友だちからの安定した承認である。
------------------------------
安住を求めて、フィルターのかかった安心安全のつながりと作ったとしても、
それは安泰ではないはず。
期待が裏切られたときに、
その痛手は大きすぎるのではないかと思えてしまいます。
-------------------------------
教育社会学者の西田芳正によれば、現在の貧困家庭の子どもたちは、
自らの境遇に対して違和感や反発を覚えることなく、
むしろそれをごく自然なことのように受け入れる傾向を強めているという。
勉強がわからない、学校でうまくいかない、
暮らしが貧しいと言った不満の様相は、ほとんど見られず、
彼らの親と同じく、不安定で困難の多い生活をさほど強く自覚することなく、
自らの元へ引き寄せている。
彼らは、努力することの価値は、そのお題目通りに認めている。
しかし、だからといって、
努力すれば自分の未来も拓けると思っているかといえば、
決してそんなことはない。
そんな未来がありうるなどとは、露にも思っていない。
なぜなら、それだけの努力に耐えられるだけの資質や能力は、
自分に備わっていないと思い込んでいるから。
自分はあらかじめ、
そんな能力をもって生まれてなどいないと決めてかかっている。
なぜなら、そんな能力もあると実感しうるような機会に
これまでほとんど恵まれてこなかったから。
一般的な価値としての努力主義の効用を認め、
それを自分に適用しようとすればするほど、
ますます期待水準は下がっていってしまう。
------------------------------------------
なんともやるせない感じがしています。
------------------------------------------
若年層の生活満足度が上昇している理由についての
古市憲寿の挙げる2つの要因
- 人間関係の心地よさによって生活が満たされるようになった。
- あまり高い希望を抱かなくなったがゆえに満足度が高まった。
1について
- インターネットの普及によって友人とつながりつづけることが容易になった。
- ネットを通して様々なコミュニティに関わることで、自己承認欲求も満たされやすくなった。
- 成人しても親と同居しつづける若者が増え、衣食住を親に依存することが可能であるため。
2について
- 個々のコミュニティのなかの人間関係でほぼ満足しているため、その外部の人たちと自分を比較することが少なくなった。
- あまり高い欲求を持たなくなったために、不満も減ってきた。
- 不確かな未来のことなどあまり気にかけず、現在の生活を楽しむことに集中するようになったため。
- 自己実現欲求や上昇志向といった現代の進歩主義的な規範から解放された。
------------------------------------
「良い満足」「悪い満足」があるとすれば、これは「悪い満足」と言えます。
諦めにもとづいている「満足」です。
「宿命」は深刻なものではなく、安住できるふわっとした感覚、
これは、容易には理解できないものです。
そこには、努力できるか否かも自分の素質の一部とみていて、
自分にはそんな素質はないと思い込んでいるのでしょうか。
自分には道を切り開く能力がないと決めてかかっているのは、
そんな能力もあると実感しうるような機会に
これまでほとんど恵まれてこなかったから。
これが、いちばん大きなポイントだと思っています。
それは見方を変えると、「失敗」経験が少なすぎるのだと思います。
いっぱい失敗できる環境が求められます。
そのためには、フィルターのかからないジモトが必要です。
その意味でも、私の想い「ここいまタウン」は、
方向性としては間違っていないと思います。
写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
散歩中に撮った写真を適当に貼っています。