今、ある成長の時を迎えているのだと感じています。
これまでに経験したことのない、人間関係のつらさがあります。
今日が、改めてそれを感じた日でした。
6/7に「当たり前のことを当たり前にすることの難しさ」に書いたこと、
それが、6/21「なんでSolなの?」、6/23「育自モデルとの出会い」
につながっていっています。
そこにはコップの水の見方があります。
また、満たされた自分の見方があります。
太陽のあり方で生きることは、言うは易しですが、
実際にやるのは本当に難しいと感じています。
正直、私がこれまでに経験したことのない人間関係は、
- ひとつは、学童保育なのに、子どもをまったく理解していない、そして理解しようとも思っていない、自分のことだけを考えている人がいるという事実
- もう一つは、昔の私なら切って捨てていただけだが、自分が人間的に成長したことで、コップの水の見方を考えるようになっている事実
があるからです。
不機嫌な自分ではなく、自分のペースでいこうと思って臨んだ今日、
それなりにいい感じではあったものの、
結局は、最後に超不機嫌になって帰ることになりました。
そのむしゃくしゃはいかんともしがたいものがあります。
と思いながら、俯瞰している自分がいることも事実です。
自分のことは一部で、子どもたちのことを考えると、
ありえないと思うから、むしゃくしゃするのです。
昔は、自分の正義に対して許しがたいことに腹を立てていました。
しかし、今は、子どもたちのために腹を立てている自分がいます。
感情的にどうしようもないとき、
満たされた自分を失っているのではないかと思えるのです。
起こっている事実には意味がない、
それを見る自分が勝手に意味付けしている。
そこに気がついたので、
起こっている事実をSol Cafeノートに書き出してみました。
その中に、感情的なことが出てくるのは、致し方ないことです。
それはそれとして、起こっている事実を書き出すと、
コップに存在している水のほうを見る意識がもて、
かなりの感謝すべきものがあることがわかります。
ない部分は、感情的には、いかんともしがたくても、
意外と些細なことかもしれないと思えてきます。
5/30に書いた「諦めず、挫けず、前向きに」の
七赤金星の運勢だと思えば、最終的には、
自分の思うような結末になると信じるしかありません。
いちばんの心の支えは、
これまで一緒にやってきた、想いを同じくする仲間がいるということです。
ここで起こっていることは、自分だけの問題ではなく、みんなの問題、
あえて言えば、現代社会のひずみの問題なのです。
そこには、自分が満たされていない大人がいます。
その問題を真っ向から解決しようと思えば、敵対関係になります。
それは、まさにその人が子どもに対してやっていることなのです。
そうではなくて、信じる仲間と人事ていることをやっていけばいい。
ただそれだけなのかもしれません。
そして、いまの自分は、太陽のあり方として、
意識的無能の段階にあると感じるのです。
無意識的無能ではないけれど、意識的有能にもなり切れていない、
無意識有能には、まだほど遠いなと感じるのです。
今起こっていることは、意識的有能になりなさいということ、
そのために起こっているのだと思われます。
そして、今日もまたいいお風呂でした。
そこでの祈りに、今日新たな祈りの対象が加わりました。