前回の(52)では、門脇さんの子ども時代の学校教育について、
いい時代があったもんだなと感動しました。
その本からのメモも、まだありますが、
先に岡本太郎さんの学校への想いを書いておきます。
岡本太郎さんについては、先のブログの体験によって興味を持って、
図書館で本を借りていました。
ある新たな出会い - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)
『岡本太郎の眼』(岡本太郎著 角川文庫)で、
子どもの心を持ち続けた岡本太郎さんは、こんなことを言われています。
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私は、現代の教育システムがまことに馬鹿馬鹿しい。
我慢がならないのだ。
子供時代からのにがい予感だったが。
第一「学校」という味気ない建物、あの画一的なマス型を見ただけで、
何かムラムラする。
几帳面に仕切られた箱、その中に40~50人すつ子供をつめこんで、
お役所で決めた勉強を強制する。
教えるのはいい。
教えなければならない。
だが、なぜ順番をつけるのだ。
「何は?」「ハイッ、先生ナントカです」。
規格型の答えをすぐに返せば満点。
すばらしい子がそれに抵抗するかもしれない。
たとえばの話、もし、1+2はどうして3になるんだろう。
そうでなくてもいいんじゃないか。
なんて思いつめて考えこんだら点数はゼロだ。
うちからあふれてくる人間的要求をそっちのけにして、
きめられた枠にあてはまってしまう子、
抵抗なく適応する子だけが成績がいい。
あらゆる科目に万べんなく順応できる子が優等生だ。
1,2,3番....君は、大変いい子。
40番、50番、お前たちはどうしてそんなにダメなんだ!
順番なんて、本当の人間の価値とは何の関係もない。
クラスの末席に誇り高くそびえ立っているような人格こそ、実は頼もしいのだ。
人間はその数だけ、それぞれ、その姿のまま、誇らしくなければならない。
そういう人間の生きる歓びを開発し、自覚させるのが教育の役割であるのに、
順位が、その道徳的基準であり、人間の価値であるかのように、
幼い魂に押しつける。
校庭に出る。
足の速い子、キャッチボールのうまい子、
高く跳べる子は、ひろい場所で自由自在だ。
けれど、そうでないのは隅っこに小さくなって遠慮している。
ここでも「順位」だ。
教室と庭とでは、位置が大てい逆になる。
かわいそうなのは、どっちにいってもミソカズにされる多くの子たちだ。
お前はダメ、君はダメというのを叩き込まれて、
やっぱりオレはダメなのかな、とついに思い知らされてしまう。
この世に生まれたときは誰でも、
自分と宇宙がまるで同じ大きさのようにのびのびふくらんでいたのに。
しかも、卑劣にも家庭にまで通知して、身の置き所をなくさせるのだ。
家に帰ると両親が口をトンがらせて、
「お前はダメだそうじゃないか」とどなる。
親まで共謀して、みずみずしい人間性をスポイルさせ、劣等感を叩き込む。
まさに国家の強権で、システマチックに、
ひねこびた”大人”に仕上げてしまうのである。
全国の児童、学生は団結して、
「教わります。だが順位はお断り」とボイコット運動を展開すべきだ。
そしてもちろん、お父さんお母さんは絶対的にそれを支持する必要がある。
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なんだかよくわかるなと感じます。
これまで、芸術は爆発だ!というCMくらいしか知らなくて、
変なおじさんだとしか思っていなかった岡本太郎さんですが、
すごく、繊細でマットだったんだなって、この本を読んで思います。
こどもの良さを失わなかった大人でした。
※ひねこびるとは
① 時がたって古びる。新しさがなくなる。
② ませた感じになる。若々しさがなく年寄りじみる。また、素直でなくなる。
③ 矮小なものがねじ曲がる。
ところで、まったく知らなかった岡本太郎という人、
Wikipediaを流して読んでみると、ほんとうにエネルギーの塊のような、
すごい人だったんだなと感じます。
Wikipediaからの引用です。
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家庭環境の為か、岡本は 1917年(大正6年)4月、
東京青山にある青南小学校に入学するもなじめず一学期で退学。
その後も日本橋通旅籠町の私塾・日新学校、
十思小学校へと入転校を繰り返したが、
慶應義塾幼稚舎で自身の理解者となる教師、位上清に出会う。
岡本はクラスの人気者となるも、成績は52人中の52番だった。
ちなみにひとつ上の51番は後に国民栄誉賞を受賞した歌手の藤山一郎で、
後年岡本は藤山に
「増永(藤山の本名)はよく学校に出ていたくせにビリから二番、
オレはほとんど出ないでビリ、実際はお前がビリだ」
と語ったという。
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上記引用の
「クラスの末席に誇り高くそびえ立っているような人格こそ、実は頼もしいのだ」
その人こそ、岡本太郎その人だったんですね。
藤山一郎にしても、その時代(岡本太郎は明治44年生まれ)だからこそ、
才能を伸ばすことができたのでしょう。
もし、学校というものが、その子の輝かしい未来をつぶす存在だとしたら、
それは、とても悲しいことです。