Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』

「ここいまタウン」への歩み

【学びの散歩道】子どもたちの将来は大丈夫なのだろうか?(168) 小所低所の姿勢で見る

『子どもと学校』(河合隼雄著 岩波新書)からの引用です。

あとがきの言葉です。

 

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多くの「大所高所」からの教育論議に対して、本書に述べられていることは、

むしろその逆に、「小所低所」からの論と言ってもいいものである。

それは私が心理療法という仕事をしているために、どうしてもそうなるのである。

心理療法は、基本的には一人の人を相手に全力をつくす仕事である。

学校制度をどう改変するか、道徳教育の本質は何かなどという問題よりも、

ある中学生がシンナーを吸っているのをどうするか、

子どもに暴力をふるわれて逃げてきた母親にどう対処するか、

などということに日夜、努力を続けている。

 

何事によらず、小さいことにこだわらず、

大所高所から考えることは大切である。

しかし、時には小所低所から考えてみてもいいのではなかろうか。

特に、子どもというのは「小さい」ので、大所高所から論じる人が、

肝心の子どもの姿を見失ったままでいるように思えることもある。

冗談めいた言い方をして申し訳なかったが、

教育を考えるときには常に相当にきめ細かい配慮をしないと、

善意をもってしていても、

知らぬ間に子どもたちの心を踏みにじるようなことになることを、

申し上げたかったのである。

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河合隼雄さんは、私の尊敬する人の一人で、この本からの学びも書きながら、

これからもいくつかの本を読んでみようと思っています。

 

この本では、小所低所の視点で語っていると書かれていますが、

そればかりでなく、大所高所から見た論も展開されています。

小所低所をしっかり見ることで、

大所高所へも思考が及ぶことになるのだと思います。

しかし、その逆はありません。

大所高所ばかりが頭にあると、小所低所が見えなくなってしまいます。

見えないのではなく、わかっていても見ようとしないことになるのです。

すなわち、これはネグレクトです。

 

つい最近、「私はお米を買ったことがない」と言った農林水産大臣がいました。

こんなことを平気で言えるのは厚顔無恥、かつ庶民のことがわからない無知無能、

それがえらい政治家なのか、そうあきれた事実があります。

こんなことで、おコメの値段が安くなるはずもありません。

さらにいえば、「したい放題のライオン」の続きのようになりますが、

自分が戦場に赴くことはないとわかっているから、

好戦的な発言を繰り返すえらい政治家たちもいますね、悲しいことに!

 

この本から学んだことは、また後日、書く予定ですが、

その前に、憂うべき状況についてもう少し書いていくことになると思います。