
『子どもと学校』(河合隼雄著 岩波新書)からの引用です。
あとがきの言葉です。
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多くの「大所高所」からの教育論議に対して、本書に述べられていることは、
むしろその逆に、「小所低所」からの論と言ってもいいものである。
それは私が心理療法という仕事をしているために、どうしてもそうなるのである。
心理療法は、基本的には一人の人を相手に全力をつくす仕事である。
学校制度をどう改変するか、道徳教育の本質は何かなどという問題よりも、
ある中学生がシンナーを吸っているのをどうするか、
子どもに暴力をふるわれて逃げてきた母親にどう対処するか、
などということに日夜、努力を続けている。
何事によらず、小さいことにこだわらず、
大所高所から考えることは大切である。
しかし、時には小所低所から考えてみてもいいのではなかろうか。
特に、子どもというのは「小さい」ので、大所高所から論じる人が、
肝心の子どもの姿を見失ったままでいるように思えることもある。
冗談めいた言い方をして申し訳なかったが、
教育を考えるときには常に相当にきめ細かい配慮をしないと、
善意をもってしていても、
知らぬ間に子どもたちの心を踏みにじるようなことになることを、
申し上げたかったのである。
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河合隼雄さんは、私の尊敬する人の一人で、この本からの学びも書きながら、
これからもいくつかの本を読んでみようと思っています。
この本では、小所低所の視点で語っていると書かれていますが、
そればかりでなく、大所高所から見た論も展開されています。
小所低所をしっかり見ることで、
大所高所へも思考が及ぶことになるのだと思います。
しかし、その逆はありません。
大所高所ばかりが頭にあると、小所低所が見えなくなってしまいます。
見えないのではなく、わかっていても見ようとしないことになるのです。
すなわち、これはネグレクトです。
つい最近、「私はお米を買ったことがない」と言った農林水産大臣がいました。
こんなことを平気で言えるのは厚顔無恥、かつ庶民のことがわからない無知無能、
それがえらい政治家なのか、そうあきれた事実があります。
こんなことで、おコメの値段が安くなるはずもありません。
さらにいえば、「したい放題のライオン」の続きのようになりますが、
自分が戦場に赴くことはないとわかっているから、
好戦的な発言を繰り返すえらい政治家たちもいますね、悲しいことに!
この本から学んだことは、また後日、書く予定ですが、
その前に、憂うべき状況についてもう少し書いていくことになると思います。