Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』

「ここいまタウン」への歩み

味わいことばノート 171&172 生身かどうか

『生きる言葉』(俵万智著 新潮新書)より

 

味わいことばノート 171

 

私が子育てをした2000年代、スマホはなかったものの、

懇意にしていた小児科の先生から

「3歳まではテレビを見せない。そういう英才教育をしてはいかがですか」

と言われた。

英才教育とは大げさな、と思ったが、今ならよくわかる。

早期に何かを与えるよりも、

電子機器との出会いを遅らせることのほうが、実ははるかに難しい。

そういう環境をキープしてやるには、ありえないほどの手間がかかる。

これこそが英才教育なのだ。

 

残念ながら私は、アンパンマンのビデオを擦り切れるほど見せてしまったので、

偉そうなことは言えない。

ただ、絵本の読み聞かせはたっぷりしてやった。

ビデオ(今なら動画)と読み聞かせの大きな違いは、生身かどうか。

受け身かどうかだろう。

絵本を読んでいるとき、子どもが「ん?」と戸惑った顔をすれば、

意味が分からないのかと察してやることができる。

ゆっくり読んだり、少しかみ砕いた表現に言い直してやったり、

好きな場面とわかれば、大げさに繰り返し読んでやることもできる。

ストーリーとは関係ない絵の細部に興味を示せば、

脱線してその小さな花や石ころの話をしてもいい。

読み聞かせというのは、生きた言葉によるオーダーメードの読書なのだ。

スキンシップも兼ねるし、コミュニケーションのきっかけにもなる。

ビデオや動画では、そういったことはなく、ただ時間通りに画面が流れてゆく。

音も動きも、想像の余地のないほどたっぷりつけられて。

 

 

味わいことばノート 172

 

生身か受け身かという点では、ゲームも要注意な強敵だ。

ゲームの中では、いくら動いても、風や匂いや痛み等を感じることはない。

決められたルールの中で、決められたことをクリアしてゆく。

そこにストーリー性があったり、

仲間との連携という喜びがあったりするのは理解できるが、

そればっかりで、子ども時代を過ごすのはもったいない。

五感を刺激されることで成長してゆく時期なのだから、

ゲームについては息子もやりたがってキリがなかったので、一計を案じた。

 

「ゲームが面白いのはわかり。でもね、これはおやつなんだよ。

ケーキやチョコレートと同じ。

おいしいからって、朝はケーキ、昼はポテチ、夜はチョコレートだったら、

大きくなれないし、病気になってしまうよ。

だからゲームもおやつみたいに分量と時間を決めて、楽しくやろう」

 

このたとえは、説得力があったようで、

息子も「うまいこと言うね!」と納得していた。

そしてゲームをした時間を同じだけ、本を読むというルールも付け加えた。

頭ごなしに否定したり、規則を押しつけたりするのではなく、

「おやつ」という身近な比喩は、子どもの心をとらえてくれたようである。

 

※172には興味深い続きがあります。

これについては、学びの散歩道に後日書きたいと思っています。