名前の意味に向き合う

ちょっと哲学してみようと思ったわけではないけれど、

「里」というタイトルに惹かれて借りた本、

『「里」という思想』(内山節著 新潮社)を今日から読み始めた。

まだ、20ページも読んでいないが、とても興味深いことが書かれていた。

哲学者の言葉は簡単に切り取れないので、少し長いけど引用してみる。

 

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20世紀の終わりになると、私たちは「近代」的なものに

急速に厭きてきたような気がする。

市場原理のなかで働き、消費者として暮らすことにも、

競争と対立のなかに身を置き続けることに対しても、

国民国家に飲みこまれながら生きることにも。

それとともに科学や技術の進歩、開発、発展、人間の理性、知性、

合理的な認識と判断.....といった近代的世界で輝きをみせてきたあらゆる言葉が。

色あせてみえるようになった、

 

歴史の何かが変わろうとしているのである。

その「何か」の正体は明らかではない。

はっきりしているのは、それが根源的な何かだ、ということだ。

自分の身を置いてきた根源的なもの、それが崩れていく。

この現実が、私たちに自分の存在に対する厭きを感じさせる。

 

といっても、私たちは、

近代ー現代として形成されてきたこの時代から離脱するわけにもいかない。

いままでどおり、市場経済のなかで、良き市民として暮らすしかない。

この生き方が厭きた世界を支えていることを知りながら、その内部に身を置く。

それなりに平穏に。

そして、不機嫌なおだやかさ。

 

私は、ここに転換期の苦しさがあるのだと思う。

いままで自分が大事にしていたものが、

まるで幻想であったかのように色あせていく。

ところが、それに代わる新しい価値がみつからない。

未来がどうあったらよいかもわからない。

そればかりか、人間をふるいたたせる価値の発見や

未来への目的意識性の再確立といった発想自体が、

近代的な発想として厭きたものにみえてくる、

 

(中略)

 

経済が発展したからこそ、私たちはただの消費者になり、

雇用されなければ生きていけない人間になった。

市民が生まれ、人間が個人になったからこそ、私たちは、

自分の居心地のよさにしか関心を示さなくなり、連帯や関係性を失った。

そして民主主義の定着が、衆愚政治やデマゴーグの政治を成立させる、

自由という理念が、いまでは「自由を守り、ひろげるための戦争」を生み出す。

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この本が出版されたのは、いまから16年前。

21世紀を迎えるころに、この哲学者が感じていたことが、

やっと、このコロナ禍にあるいま、私にはよう~くわかるのである。

 

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世界に普遍性を求めるのではなく、それぞれの自然があり、歴史があり、

関係性があるローカルな世界から思想を組み立てなおす。

それを経由しないかぎり、私たちは普遍的世界のなかの無力な個であるしかない。

 

私たちは、自分が存在する「里」をもち、

その「里」からすべてを組み立てなおす必要があるのである。

「里」というローカルな世界から、である。

ここから「近代」を解消させるリアリズムを手にすることはできないか。

 

(中略)

 

「里」とは村を意味していない。

それは自分が還っていきたい場所、

あるいは自分の存在の確かさがみつけられる場所である。

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私が思い描く「ここいまタウン」は、「里」のイメージのコミュニティ。

「i-ze、i-ze」という声援が聞こえてくる気がする。

 

【学びの時間】カレイドスコーピックな世界へ② 超手前味噌な誕生日 - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)

私は、先月の誕生日にこれを書いた。

たまたま読んだ『「風の時代」に自分を最適化する方法』(yuji著 講談社)が、

誕生日を迎える自分にもろに響いたから。

 

私の名前は、里司。

この年になるまで、珍しい字だとは思いつつも、

まったく気にもしなかった名前が、

いま俄然、大きな意味を持っていたのではないか、と感じられる。

 

還暦からの人生は、第2の人生ではなく、自分の本当の人生だと、

これまで何度も言ってきた。

それは、立岡里司の人生というより、Solの人生だと思ってきた。

しかし、Solでありながら、

自分の名前にしっかり向き合っていく人生なのかもしれない、

Solの原点は、本名にあったと感じられることが、

今日初めて気づいた喜びなのだ。

 

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写真には、特に意味はありませんが、

リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、

散歩中に撮ったものを適当に貼っています。