【ミツバチの独り言】未曽有のコロナ禍にあって、なにができるのか

f:id:solcafe:20210801094331j:plain

 

感染症の専門家は、今やるべきことは、「危機感の共有」だという。

しかし、いまは、「政府の危機感のなさ」が、共有されてしまっている。

物の道理だと思う。

 

政府は、思惑だけで動いている。

自分たちが、事実に真摯に向き合うことなく、

何もしないどころが、逆のことをやっているのに、

自分たちを正当化しようとして、国民の安全安心から目を背けている。

 

新型コロナウイルスは、そんなことはお構いなしだ。

これまでの「自分たちの思惑だけのその場しのぎ」が、全く通用しない。

誠実さと謙虚さが、失われてしまっている。

この状態では、もう行き着くところまで行ってしまうだろう。

 

公助は全くあてにならないことは、もう誰もが知っている。

しかし、いまの若者の楽観論を聞き、人出の多さを見る限り、

多くの人が自助を強化することまではやっていないようである。

 

豪雨による河川の氾濫・土砂災害などのように、

自分の間近に危機が迫ってはじめて、本当に危機感が共有されるのである。

行き着く先は、大半の人がそれを経験するということなのだろうか。

 

では、なにができるのかを自分に問うてみる。

いまやっている、いややらないことを続けていくしかない。

それでも、毎日放課後子ども教室、ないしは学童クラブに通って、

多くの子どもたちやスタッフと接する仕事がある。

いわゆる、エッセンシャルワーカーであるともいえるので、

それは続けていくほかない。

逆に言うとそれ以外はやらないということでもある。

あとは、天に「感謝し、祈る」ことだけ。

 

私は、今週金曜日に2回目のワクチン接種を受ける予定。

しかし、それで安心というわけにはいかないのである。

ワクチン接種した人の中から無症状感染者が出てきて、

ひそかに感染を広げる可能性は否定できない。

こうした人々が、他者と濃厚接触したり、

マスク着用をやめたりした場合には、

その懸念がさらに強まるといわれているからだ。

 

エッセンシャルワーカーだけに、気を緩めると、

接する子どもや人たちに迷惑がかかってしまう。

 

政府はワクチン接種しか言っていないが、ワクチン接種が行き届けば、

はい、シャンシャンというわけにはいかない。

今回のコロナ禍は一息つくだろう。

しかし、社会全体のあり方や政治の姿勢が変わらないかぎり、

すなわち、対処療法ではなく、危機の原因の本質に迫らないかぎり、

新たな、より厳しい、さまざまな試練がつづいていくだろう。

 

『「人新世」の資本論』斎藤幸平著にこう書かれている。

----------------------------------

100年に一度のパンデミックによって、多くの人命が失われたし、

経済的・社会的な打撃も歴史に残る規模だった。

しかし、そうであっても、気候変動がもたらす世界規模の被害は、

コロナ禍とは比較にならないほど甚大なものになる可能性がある。

コロナ禍は一過性で、ささやかなものだったと、

気候変動に苦しむ後世の人々は振り返ることになるかもしれない。

 

そのように被害規模が違うといっても、

コロナ禍を危機の先行事例としてみておく必要がある。

気候変動もコロナ禍も、

「人新世」の矛盾の顕在化という意味で共通しているからだ。

どちらも資本主義の産物なのである。

(中略)

 

先進国において増え続ける需要に応えるために、

資本は自然の深くまで入り込み、森林を破壊し、大規模農場経営を行う。

自然の奥深くまで入っていけば、

未知のウイルスと接触機会が増えるだけではない。

自然の複雑な生態系と異なり、人の手で切り拓かれた空間は、

ウイルスを抑え込むことができない。

そうしてウイルスは変異していき、グローバル化した人と物の流れに乗って、

瞬間的に世界中に広がっていく。

-----------------------------------------

 

ボクたちミツバチは、世界中で姿を消しつつあるけど、

それは人間が作り出した有害なもので、

ミツバチの世界が、パンデミックのようになっているから。

そう言ってもいいんじゃないの。

それでも、まだまだ経済が優先されている。

ボクたちがいなくなると、人間の生きられなくなるんだよ。