【学びの時間】想像しがたいこの現実はほんとうなのか?

『教育虐待』(石井光太著 ハヤカワ新書)を読みました。

 

この本に書かれている「教育虐待」は、

信じがたいほどありえないような内容でした。

我が子に、そんな仕打ちができるのでしょうか???

そのありえない「教育虐待」の実態を、ここに要約することはできません。

興味のある人は、この本を読んでみてください。

すさまじいとしか言いようがないことが書かれています。

著者はどこまで調べて書いているのだろうか?

そんなことまで考えてしまいます。

 

そんな「教育虐待」を受けた悲惨な子どもたちに、

手を差し伸べる公的な手段は限られています。

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日本における虐待の概念には「教育虐待」というカテゴリーは存在しない。

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からです。

そんな子どもたちが、何とか大きくなることができたときの言葉があります。

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成人した彼らが親との関係を振り返り、声をそろえて語る言葉がある。

「親には私のことを見てほしかった」

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「教育虐待」をする親には、3つのタイプがあると言っています。

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  1. 学歴コンプレックスへのリベンジ型: 親が自分の学歴にコンプレックスがあり、子どもに高学歴を求める。
  2. 社会的ステイタスのリベンジ型: 親が子どもを一流校へ進学させることが、自分のステイタスを上げることにつながると考える。社会人として活躍できないなら、優秀な専業主婦(主夫)になろうとする。
  3. 親が発達障害: 専門家の間では、このケースはかなり認知されている。

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1は、どうして自分をそこまで棚に上げることができるのでしょうか?

2に関連しますが、親の能力や学歴が高く、社会的ステイタスも高いとき、

子どもに、同じ高さを求めるが故の教育虐待があると思います。

この本には、フリースクールの約1割が、

医者の子どもだということが書かれていました。

3については、よくわかりません。

 

医者の子どもは医学部に行かないといけないのでしょうか?

子どもは親の所有物なのでしょうか?

子どもには、人格が認められないのでしょうか?

 

精神科医 宮本信也さんのことばです。

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子どもの虐待経験による不安と抗うつがどのように出るかだと思います。

家に引きこもれる環境があれば、それがネットゲームに向けられるでしょう。

しかし、そういう環境がなければ、男子の場合暴力に出て、

女子の方は自分自身に向かいますね。

具体的に言えば、自傷行為、摂食障害、それに性的逸脱行為も含まれるでしょう。

行動においては、男子と女子の差はあります。

これは教育虐待だけでなく、

身体的虐待やネグレクトなど虐待行為を受けた子ども全般に当てはまることです。

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安田祐輔 キズキ共有塾代表のことばです。

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家庭は子どもにとって安心していられる場。

もっといえば、尊重してくれる場であるべきだと思っています。

親が子どもを一人の人間としてちゃんと認め、適切な距離感を保ち、信頼する。

それが揺るぎないベースになれば、子どもはその子のペースで成長し、

しかるべきタイミングで自分の未来を思い描いて、

やるべきことをやるようになります。

親がしなければならないのは、教育の押し付けではなく、

家庭を安心できる空間にすることではないでしょうか。

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子どもは親の所有物ではなく、れっきとした一人の人格なのですから、

親の役目は、まさにその通りだと思います。

 

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そもそも教育とは、子どもが大人になったときに、

社会で生き抜く力を養うために行われるものだ。

社会で生き抜く力は、学力一辺倒ではつかず、自然に触れて情操を育む、

人とかかわってコミュニケーション力を磨く、

文化や芸術を通して想像力を膨らます、

他者と一つの壁を乗り越えることで、

協調性を手に入れるといった複合的な経験によって培われる。

子どもはそうして総合的な力を身につけて生きて行けるようになる。

この点において、教育は子ども主体であるべきなのだ。

 

教育虐待をする親は、根本のところでそれをはき違えている。

子どもの教育が、親の自己目的を実現する手段となることがあるのだ。

子どものためではなく、親のためのものになっているのである。

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「教育虐待」する親がどうして生まれるのか、

いまの私には、まったくわかりません。