【学びの時間】子どもの世界に光を当ててはいけない

『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』(山田太一著 新潮文庫)は、

この本の前に読んだ『いじめと不登校』(河合隼雄著 新潮文庫)と

相通じるような内容でした。

 

それは、私自身の想いと一致しています。

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いくら時代の価値観では上位の職業でも、「嫌い」なら仕方がない。

不安定で、成功率は低いと思っても「好きだ」というほうを選ばせるしかない。

それ以上親に口を出す権利はない。

勿論、これだけ人口の多い狭い社会ですから、

好きならなれるというものではないし、

応援してもダメということも多いでしょう。

人によっては、本当に好きなのは別のことだったと、

さらに年月がたって気がつくかもしれない。

しかし、それはもう子供の人生のことで、親にはどうしようもない。

「好きだ」ということに手を貸してやるしかない。

「何が好きだかわからない」という子には、見つかるまで待つしかない。

それくらいしか親のできることはないし、責任もない、と思っています。

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親が子どもにしてやれることはこれくらいしかない、私もそう思います。

 

私は今、子どもに関わる仕事をしています。

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喧嘩する前に憎んでいたけど、殴り合ったら狐が落ちたみたいに

そんな気持ちが消えていた、とかいろいろあったりするわけです。

そういうところで、子供は人間を学ぶし、自分を知るんですね。

それを暴力はいけないと、ひきはなして、ほっとするというようなことは、

もったいないといえばもったいない。

子供の世界には、大人の窺い知れないところがあるのだ、

というセンスが、やはり必要だと思います。

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私もそういうふうに思っています。

子どもたちにはしっかり喧嘩もしてほしい、

ケガもしていいし、少々汚い言葉を使ってもいい、

だから、見守って、待って、その場に居るというのがベストだ、

そんなふうに思っているのですが、

今のお仕事では、そうはいかないのです。

だから、あれはダメ、これはダメと言いまくっている自分がいます。

本意ではないけど、致し方ないというのが本音です。

 

昔は、大人の目が届かない子どもの世界がありました。

子どもは、そんな闇の部分で、たくさんの悪さをしていたんです。

そして、多くのワクワクを体験していてのです。

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子供の世界にあまり光をあててはいけない、とぼくは思います。

人間はどうしても光を当てないところで育つという部分があります。

闇を必要としているところがあるんです。

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しかし、子どもの数が少なくなったり、自然がなくなったりしたこともあって、

子どもの一挙手一投足が、何らかの大人にさらされています。

そして、口出し手出しされているのです。

 

著者は1931年生まれで、この本の発行は1995年です。

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神もなく、モラルもなく、世間の目が行動の基準になっているというのが、

よくある日本人論ですけれど、

その世間をあまり気にしない世代が増えて来た。

すると行動の歯止め、方向づけは、何によってするのか?

と恐いような気もします。

 

人間というのは、ちょっと不況がきびしくなってきて、

生存にかかわるような飢えであるとか、そういうものが襲ってきたら、

ものすごいエゴの塊になる人が大半だと思うんです。

他人を蹴飛ばしてでも、自分だけは生き残ろうという存在だと思います。

そういうことをかつては普通の人が知っていた。

 

ところが、だんだん豊かになって来て、一見いい人が周囲に増えてきた。

だから、他人というものが恐くなくなって来たんですね。

同時に、自分の恐さについても気がつかなくなっています。

人間の実態というものにも鈍感になってはいないでしょうか?

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著者は、1990年ころに、こんなことを感じていました。

それから30年、世間を気にしないどころか、

自分以外の生身の人間が見えなくなっている人が山のようにいます。

人の迷惑になっていることを認識していない人たちです。

スマホの虜になった人たちです。

若者だけではありません。

幅広い世代で、スマホに支配されていると、思えてなりません。

これは、人間の人間たる存在の危機、人間の退化、

そんなことが頭をよぎる、いま一番の問題ではないかと感じるのです。

【学びの時間】スマホより楽しいものは? - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)

 

子どもには、ゲームよりもっと楽しいこと、

大人にはスマホよりもっと楽しいことを知ってほしい、

特に電車に乗るときに、そう思えて仕方がない今日この頃です。