一昨日も、ドリームマップ授業に行ってきました。
今回は、中学3年生向けドリマ授業の初メインを務めました。
かなりの数の中学校がドリマ授業を採用していただいていますが、
ほとんどが1年生で、3年生はとっても稀です。
中3向けはちょうど2年前に一度あって、その時はサブで参加しました。
その次、昨年3月に楽しみにしていた中3のドリマが、
新型コロナによる休校でキャンセルになってしまいました。
今回の学校は、ドリマを経験された先生が異動された先で
実施することになったドリマ授業の新規校です。
このような経緯で導入を決めた学校がほかにもたくさんあります。
卒業式を4日後に控えた一昨日という日に、
卒業旅行を含めて、一切のイベントが中止になった3年生のために、
一大イベントとして用意された、
学校にとっては、期待のドリームマップ授業でした。
前半は、学校の先生方の期待に応えることができるのだろうかと
不安になるような状況もありましたが、
結果的に、想定をはるかに超える感動的な大団円となりました。
この感覚は、私たちドリマ先生や、学校の先生が感じていることで、
子どもたちにしたら「当たり前じゃん」てなものかもしれません。
そう思えることが、いくつかありました。
いじめの本当にない学校、会う生徒たちからは清涼感が漂ってくる
ステキな空気感のある学校でした。
ところが、私が受け持ったクラスには、すごく重い空気感がありました。
ごく一部を除き、手も挙がらず、シーンとしていました。
そんな超がつくほどの硬い1-2時間目でしたが、
そのあとの、自由なドリームマップ作成の3-4時間目には、
いつも通りといえばいつも通りですが、すごく緩んで、楽しく、
かつ真剣にドリームマップを作る子たちがいました。
圧巻は、5-6時間目の発表でした。
発表の原稿であるスピーチシートをしっかり書いて、いよいよ発表です。
スピーチシートには、大きく3つのポイントがあります。
- この夢を持ったきっかけは?
- ドリームマップの中で一番伝えたいところは?
- 夢をかなえるためにすることは?
3番目が、夢に向かう行動です。
ここは、ただ勉強します、頑張りますでは、残念なので、
できるだけ今日からできること、
習慣化してほしい行動を見つけてもらいたいと思っています。
今回は、中学3年なので、こんな問いかけと
用意した一つの答えを伝えてみました。
トップバッターで発表したい人?と聞くと、
たぶん級長であろうと思える子の手が勢いよく挙がりました。
一日を通して、こんなにしっかり手が挙がったのは、この一瞬だけでした。
発表が始まると、スピーチシートを見ずに、
自分の言葉で発表する子が何人も出てきました。
夢自体はシンプルなものでも、その背景には深いものがあったりと、
よく考えているな、自分の意志が入っているな、自分を表現しているな、
などなどと感じられるものばかりで、
すごいパワーが子どもたちから伝わってきました。
誰一人、ぼそぼそ発表する子はいません。
そして、発表が終わった時の拍手と応援のエールがすごくて、
ものすごいエネルギーの高まりを感じ、感動を覚えました。
振り返りもしっかり書いたあとで、一人一人に一言ずつ発言してもらうと、
1-2時間目には一言も発しなかった子たち全員、教室全体に聞こえる声で、
今日の体験で感じたことを語ってくれました。
これが本来の彼らなんだなと肌で感じたステキなときでした。
中学3年生といえは、思春期の複雑なもの、
アンバランスなものをもっている子たちだと思います。
私には、よく理解できないものがあります。
外面と内面が違っている、違えているのかなとも思えます。
この想定を超えるような大きな変化は、いったい何だろう?
私だけではなくサブのドリマ先生も感じたことだし、
担任の先生も感じられたと思います。
逆に言うと、なぜそれが最初から出てこないのだろう?
ということでもあります。
不思議なことは、締めくくりのところでも起きました。
この高揚感を持って、「自分のこと、どれだけ好きか」を
コップの水の量で書くという仕上げのワークをしました。
私が見る限り、あふれている子も何人もいたし、
増えている子が多かったと感じたのですが、
増えた人?と聞くと、思ったほど手が挙がりません。
減った人はいませんでしたが、変わらないという子が、
増えたという子より多い感じでした。
こんなにエネルギーが高まったと感じる状況でも、
相変わらず手が挙がらないし、挙げた手も顔より上に行きません。
1時間目にも、自分の満たされ感をコップの水で表現してもらっています。
その時感じたのは、かなり多めだなということでした。
発言のない重い空気感なのに、自分への満足度は低くはないのです。
自己肯定感が低い子たちではないのだなということは感じていました。
だから、子どもたちからしたら、
ドリマの前も後も「私たちは普通だよ」ということなのかもしれません。
3時間目に、夢が現実の枠の中にあって、あふれてきた感がなかったので、
自分に自分で限界を設けているのではないかと思いました。
この問いかけと一つの答えを伝えたうえで、
立ってもらって、簡単に限界を超えられるワークをやってみました。
手を前に伸ばし、その手を後ろに回してどこまでいけるかというワーク。
行けるところまで行って戻っておいで、という1回目に対して、
暗示をかけて2回目をやると、普通は1回目よりはるかに大きく回ります。
横から見ていたドリマ先生が、明らかに2回目の方が回っていたと
後で伝えてくれたのですが、その場で子どもたちに聞いた時には、
2回目に大きく回ったという子は少なくて、
変わらないという子がたくさんいました。
こちらからしたら、なんで? なんです。
限界を超えるを体感してもらえなかったのか?ってな感じです。
体感覚が閉じていて、できているのにできていないと感じてしまうのだろうか、
とも思ってしまいます。
そして不思議なのは、問いかけたときに手が挙がらない、
できた?という方にはあまり手が挙がらず、
できていないという方には、なぜか想定以上に手が挙がる、
これまた不思議です。
しかし、反応がないだけで、しっかり受け止め理解しているし、
それに応える力を持っているというのが、私の感じるところです。
発表を聞いた限り、夢は漠然としていても、
取り組むこと自体に価値のあるものを選んでいたと思えるし、
今日からやっていく行動をしっかり書いて発表した子もかなりの数いました。
私が伝えたからどうこうということではないにしても、
子どもたちを信じて、想いを伝えていくことの大切さを再確認しています。
何はともあれ、学校の期待としては、
子どもたちに主体性を持ってほしいということでしたが、
今回感じたのは、
彼らには間違いなく主体性はある
しかし、それが表に出てこないということ
その背景にはきっと何かがある
そういうことでした。
本当にいじめのない学校で、
素直でまじめですがすがしい生徒たちであることは、私たちも感じていました。
この子たち、きっといい家庭・家族に恵まれているんだろうなとも思えます。
であれば、正直、自分を表現して失敗したとしても、
誰からも責められることはないはずです。
それでも、それが表だっては出てこないのは、
そんな年ごろなのだから、ということなのでしょうか。
そんな中学生から高校生にかけての年頃は、第2反抗期でもあります。
すごく素直でいい子と感じられる子たちでしたが、
ある一方では、結びつきからの分化・独立に起因する不安や動揺があって、
心の中には、たくさんの葛藤があるのかもしれません。
クラスによっても、違いがあったようです。
中学3年生、もっと経験してみたいと思っています。
だから、中学3年生のドリマ授業も増えていくといいなと思います。
中1でやって中3でもう一度やるのが、とってもいいのですが、...。
ちょうど2年前の中3のドリマ授業のことは、忘却の彼方ですが、
幸いにも、報告書兼自分の振り返りのためのレポートを毎回書いているので、
それを紐解いてみました。
その日は、高校入学手続きで途中何人も抜けたりして、バタバタな感じでした。
書いてあることをピックアップするとこうなります。
- 全体的におとなしくて静か。特にムードメーカー的な存在もいない。活発に率先発言する子が一人いたくらい。
- すれた感じはまったくなくて、斜に構えたりする子もいなくて、まじめに取り組む姿は好感が持てた。
- 反応は鈍く見えるけど、伝えたことはきっちりやってくれる。
- 描いた夢は、現実離れしたものはなく、将来への希望的なものも少なかった。
- 発表のときには、スピーチシートに書いていないこともアドリブ的に、ドリマを指さしながら話したり、ドリマに十分には描き切れていないことも伝えようとしていた。
- 活発に発言したり、行動したりという感じではないし、反応も薄いので、途中少し沈滞感も感じることもあったが、発表の時間は、すごくいいな、ドリマ授業をやってよかったなと感じられた。
これを読んでみて思ったのは、学校の場所は全く違っていて、
子どもたちへのプレッシャーは、場所柄、2年前の方が大きかったはずだけど、
基本的には、ほんとうによく似てるなということです。
私は学校の先生ではないし、この年代の子どものこともよく知らないので、
今回もどうしてなんだろうと思うことが多々ありました。
だからでもありますが、この子たちの状況が、
思春期・反抗期のなせる業なのかもしれないとすれば、
それを学んでみないいけないな、と思いました。
早速昨日、思春期の心理や発達心理学の本の予約を図書館に入れたら。
今日何冊か届いていました。
楽しみです。
<脚注>
添付した2枚の写真の言葉は、池田貴将著『未来記憶』から、
引用させていただきました。