宿題をなくした学校もいくつもあるようですが、
私自身も、一律の宿題はいらない、と思っています。
私の職場である放課後子ども教室は、
子どもたちがやってい来ると、まずするのは宿題です。
やらなければいけないということはないので、
半数くらいはすぐに遊び始めます。
やっている子は真面目にやっている子もいれば、
ふざけている子、遊び半分の子もいます。
宿題が作業になっているのではと感じることもしばしばです。
宿題の時間は宿題だけ、それ以外は本を読む、
遊んではダメというところもありますが、私のところでは強制はしません。
ただ、学年が上がっていくにつれ宿題の量が増えて来て、
ずっと宿題をやっている子もいます。
宿題がないと、「今日は宿題がない!」とうれしそうです。
せっかく遊ぶところに来ているのに、残念だなと思います。
オランダでは、小学校高学年になるまでは宿題は出ません。
【学びの散歩道】子どもたちの将来は大丈夫なのだろうか?(28) オランダの教育 - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』
『けてぶれ宿題革命』(葛原祥太著 学陽書房)より
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なぜ宿題をやるの?
- 「やっていれば先生に叱られない」
- 「面倒くさいけど、立場が上の人が言っていることは、とりあえず従っておけばいい」
という自分自身の環境に対する無思考受動的態度。
- 「宿題をやればゲームができる」
宿題は嫌なモノ、学習は楽しくないものというイメージの醸成。
無意味で作業的な宿題は、子どもに「学習習慣」をつけるどころか、
「与えられた課題を無思考にこなすこと」と
「勉強することを苦しみと捉えること」を
毎日繰り返させ、習慣化させているおそれがある。
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この「けてぶれ」というのは、計画・テスト・分析・練習のこと。
このサイクルで、自己学習を身につける学習法というわけです。
これは、企業で行われているPDCAだと思いました。
Plan-Do-Check-Actionそのものですね。
これだと、一律な宿題はありません。
一人一人が、自分の「けてぶれ」のサイクルに合わせて、
自分で勉強していくのですから。
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何も指示を出さなくても自分からできる子もいますが、
自分のことしか見えなくなる子もたくさんいます。
教師がクラスの状態を見て、一人ひとりに適切に働きかけることが必要です。
どうやって居場所を見つけてあげるか、
どうやって行動指針を示してあげるかが大切なのです。
ただ、それをやるには、
単純に全員が同じところを目指すという構図が必要になります。
それぞれが別の目標を持って別のことをやっている環境では、
声かけのしようがないですからね。
「自分は今これをやっているからいいんだ」
というような思考になってしまいます。
だから、例えば「全員が100点を取らなければいけない」
というような単純な目標がいいわけです。
それを徹底すれば、
今の自分の行動がその目標を達成するために適しているか否か、
という判断基準でみんなが判断できるようになります。
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これは、この中に書かれているものです。
「けテぶれ」の裏側!学び合いを支える教師像 〜葛原祥太先生インタビュー 〜 | EDUPEDIA
この、「全員が100点を取らなければいけない」という目標については、
私個人的には、大きな?マークがつきます。
みんなが同じ目標を持つのではなく、
それぞれがそれぞれの目標を持つということでも、
自主学習をつけることはできるのではないかと思います。
それはそれとして、これもまた現場の力です。
それに賛同して、取り入れている先生方もおられます。
自己学習力を身に付ける!「けテぶれ学習法」(watcha Nagoya講演録②チームけテぶれ) | EDUPEDIA
自己学習という個人の学習法でありながら、
クラス全体としては、「学び合い」の要素も含まれているのが、
この「けてブレ学習法」ということのようです。
このようなクラスでは、不登校の子はほとんど出ないのではないか、
そう思えます。
写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
手元にあった写真を適当に貼っています。