『田坂広志 人類の未来を語る』(光文社)から、引き続き学びます。
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我々一人一人の「意識の改革」を抜きにして、
いかなる「制度の改革」も危機を超える力とはならないだろう。
振り返れば、人類は数千年の長きにわたって、
この「人類意識の変容」を願いながら、
それを実現することができないで、歩んできた。
しかし、人類滅亡の深刻な危機に直面しているいま、
我々はまったく新たな挑戦によって、
この「意識改革と変容」に取り組んでいかねばならない。
その「まったく新たな挑戦」とは、過去、数百年、
対立し決して交わることのなかった「科学」と「宗教」が、
その対立を超え、結びつくことである。
そのとき、これまで、
「宗教」が語り続けてきた「利他主義」と
「科学」が語り続けてきた「合理主義」
その二つを弁証法的に止揚した「合理的利他主義」が、
この地球に広がっていくだろう。
その道だけが、21世紀における人類文明の生存への道であり、
さらなる発展の道である。
そして「科学」と「宗教」が手を携え、人類の文明が、
さまざまな危機を乗り越え、さらなる発展への道を歩むとき、
いよいよ幕が開ける。
人類の「前史の時代」が終わり、「本史の時代」の幕が開ける。
本書は、その幕開けの願いを込めて書かれた。
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この科学と宗教の融合は、私には思いも及ばないことですが、
前史から本史へという、この本の最後の締めくくりが、
この予見で綴られています。
「前史の時代」とは何でしょう?
『運動脳』(アンデシュ・ハンセン著 サンマーク出版)に
このような図がありました。
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私たちが、農耕生活に転じて以来、1万年が経過した。
私たちが農民なった時代は、
時間軸で考える人類の歴史全体のわずか1%に過ぎない。
工業化時代は約200年続いたが、今の私たちにとって、
1800年代は、まぎれもなく遠い昔であり、
これも非常に長い年月と言えるだろう。
とはいえ、進化の観点では、ほんの一瞬に過ぎない。
人類の歴史を1日に短縮すると、
私たちは午後11時40分まで狩猟採集生活を送っていた。
工業化社会が始まったのは、午後11時59分40秒。
デジタル社会、つまりインターネットにつながったのは、午後11時59分59秒。
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『運動脳』は何を私たちに伝えているかというと、こういうことです。
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脳にとって最高のエクササイズとは何か?
15年間にそう聞かれたら、
多分私はクロスワードパズルなどを思い浮かべたことだろう。
とこらが、多くの人が驚いたその答えは、身体を動かすことだという。
身体を動かすと、気分が晴れやかになるだけでなく、
あらゆる認知機能が向上する。
記憶力が改善し、注意力が研ぎ澄まされ、創造性が高まる。
それどころか知力に名で影響が及ぶという、
これぞまさに正解。
脳にとって最高のエクササイズに違いない。
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最近の技術進化、特にスマホの出現は、
人類の未来に大きく影響しているように思えてなりません。
人類の歴史の中では、瞬きする時間ほどでもないこの数年、
とてつもない変化が起こっているように思えるのです。
著者もこういっています。
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ここ数年の科学技術の進歩により、
私たちはパソコンやスマホを眺めて過ごす時間が増え、
そのいっぽうで、身体を動かす機会は大幅に減った。
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今の巷では、スマホに囚われた人たちの姿が目に付きます。
近い将来、大半の人が認知症になるのではないか、
そんなことも思ってしまいます。
しかし、そんな今を生きながら、
『人類の「前史の時代」が終わり、「本史の時代」の幕が開ける』
と語っているのが、田坂広志さんなのです。
昨日、ある会に参加しました。
人と人とのつながりを大切にする人たちの交流会です。
比較的年齢層は高いですが、「前史」の締めくくりをして、
「本史」につないでいくのは、私を含めて、
古き良き時代を知っている年齢層の人たちではないか、
そんな気がしたひとときでした。