つづいて『なぜ、脱成長なのか』から引用する。
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かつて、炭鉱では坑道にカナリアを持ち込んできた。
一酸化炭素が充満してくると、カナリヤが早々に死ぬので、
炭鉱労働者たちに避難を呼びかける警報代わりになった。
現代の私たちは、いったいどれだけの危機が生じれば、
カナリアの様子に注意を払うのだろう。
フランス郊外では、農薬などの要因によって、
鳥類の個体数が過去15年間で3割ほど減った。
アメリカでは、1947年には、
600万存在していた蜜蜂のコロニーのうち、350万も失われた。
生物多様性と生態系サービスについて、
国連が2019年にまとめた報告書では、
50か国145人の科学者が、15,000件の科学研究の評価分析を行い、
次のような結論を出している。
「人類の歴史において、前例のないスピードで、
世界的に自然が減少している。
種の絶滅速度も加速しており、
世界中の人々にも深刻な影響が及ぶ可能性が高い。」
世界的な生物多様性の減少。
そして、工業式農業の拡大と生息環境破壊が相まって、
今回の新型コロナウイルスのような感染症の流行が頻発しやすくなっている。
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今日、梅雨明けのうだるような暑さの中、
モリタウンで少し時間をつぶしたあと、
テニスクラブのイチョウ並木を抜けて、
フォレスト・イン・昭和館まで歩き、
新型コロナウイルスのワクチンの1回目の接種をしてきた。
とてもスムーズに受けることができたし、
私自身には全く副反応もなく、いつもと何も変わらない、
ゆったりとした休日となった。
ある意味とても平和な時間を過ごしている私個人の一日から目を転じれば、
新型コロナウイルス感染の状況は、いま、
これまでに経験したことのないほど大きな危機に直面しているのである。
冷静に、かつ真摯に考えると、このような状況になるのは、
ごく一般の人にもわかっていたことだと思う。
それなのに、そうなることを避けることができなかった。
世の中(政治・経済・社会)に大きな歪みがあるからだと思う。
人命と経済が天秤にかけられる状況がある。
格差がこれほど浮き彫りにされたことはない。
問題を挙げ連ねればきりがない。
そこから見えてくるのは、すべてがお金につながっているということ。
企業は成長を追い求め、富むものは既得権益にしがみつき、
人件費はコストとして切り捨てられる、
まっとうな人たちが、とても生きづらい時代になってしまった。
この新型コロナウイルスの出現が、
ネット社会の普及と機を一にしているのは、すごく意味深い。
これまで見過ごされ、覆い隠されてきたおぞましいことの数々が、
目の前にさらされるようになった。
これまでも草の根運動はあったし、想いのある人はたくさんいた。
SDGsや環境意識の高まりなど、社会の新試合へのうねりが起こりつつあった。
いま、新型コロナウイルスによって、
- さらに多くの人が、このままではいけないということに気づき始めた。
- 自助、共助、公助の最後は全く期待できないことに気づいた。それどころか、逆に、害であり、人災であることに気づいた。
- 自らが動き、協力し合い、仲間を増やすことの大切さを、これからはもっともっと多くの人が知ることになるだろう。
- どうしたらできるのかを考えると、これまで無理だと思われてきたことが、いろんな形できることに気づきはじめた。
- 成長し続けること、競争して勝つこと、そうでなければ、生活は豊かにならないと思っていた価値観も、『なぜ、脱成長なのか』という本が出てくるように、変わりつつある。
- 本当にそうだろうか、お金がなくてもみんなが幸せに暮らせる方法は、きっとあるはずだと、考える人が、これからどんどん増えていくだろう。
いま実際に、こんなに短期間でこんなにすばらしいワクチンができ、
接種が加速度的に進んできている。
私も今日、その恩恵の一部にあずかることができた。
「目先のことに一喜一憂するのではなく、
人間同士がいがみあい、けなし合うのではなく、
協力し合って、地球を大事にするんだよ」
新型コロナウイルスを通して、
神様が私たちに伝えようとしているのは、こういうことだろう。
地球を大事にするというのは、自然を大事にすること。
それは、すべての人が、人間らしい豊かな生き方ができるということでもある。
このコロナ禍は、そうなまやさしいものではない。
ワクチン接種が進む欧米でも、沈静化できていない。
比較的穏やかだったアジアでは、かつてないほど急拡大している。
日本は、夏休み、オリパラなどなど、公助への不信感も相まって、
この夏は、想定を超える過酷な状況になることも覚悟しないといけない。
しかし、ワクチン接種が進むとやがて平穏を保てるようになるだろう。
この時代に生きていることは、とても幸運なことだと思っている。
時代が変わっていくのを見ることができる。
そして、変えていく一員になることができるのだから。