50歳になる前、会社勤めをしているとき、
「はたらく目的」なんか考えたことがなかった。
会社の業績を伸ばすために、自分にできることを精一杯やって、
結果を残すことが、ある意味「はたらく目的」だった。
それが、自分の評価にもつながった。
50歳を超えて、個人的な転機のあと、今やっていることに違和感を感じ、
「はたらく目的」について考えるようになった。
しかし、その答えは見つからなかった。
その頃も売り上げ責任のある部門にいたが、
売り上げを伸ばそうとか、利益を上げようとか、
そんなことはどうでもよくなった。
自分が屈託なく仕事ができているか、
スタッフが楽しく、あるいは過剰なストレスなく働くことができているか、
それだけに関心が向いていた。
そうすると不思議なもので、私の部門の業績は上がっていったのである。
本屋の棚にあるのを見て、図書館に予約を入れて読んだ
『なぜ、脱成長なのか』にこんなことが書かれていた。
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私たちにとって何が本当に大切なのか、
あらためて考えるタイミングとして、まさに機は熟している。
大切なのは、GDPではない。
人間や地球の健康とウェルビーイングだ。
それを実現するのが、脱成長なのだ。
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私は、はたらく目的を考えていた時、
今の会社で製造して販売してサービスしている、そのもの・ことは、
人間や地球にとって、どんないいことをもたらしているのか、
を問うても、自分を満足させる答えは出てこなかった。
売上・利益を伸ばすために、多大な開発費をかけ、
できるだけ短いサイクルで新製品を開発してきた。
新製品の意味は、新機能で他社機に対して差別化し、
価格を抑えて、競争力を上げることだった。
すなわち、コストを抑えること。
コストを抑えることは、人件費を抑えるのと、購買先を泣かせることだった。
これはあくまでも企業の論理である。
企業の最大の目的は、「成長」だったと感じている。
中期経営計画は、例外なく右肩上がりだった。
世の中を見回すと、無駄なものがあふれている。
経済は無駄なものを作り続けることで、成長している。
それが、環境問題、異常気象につながり、
地球は持続不可能になりつつある、
仕事をしながら、そう思っていた。
この本に書かれている、成長とはこんなことだった。
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成長とは、余剰を投資して余剰を生むことで成り立つ。
余剰とは、ある財やサービスを、
生産に使った労働力と資源の費用を上回る価格で販売することで獲得される。
つまり、労働力や原材料、エネルギーを安価に手に入れることが、
経済成長の基本だ。
サプライチェーンと会計システムが、そのコストとダメージを、
はるか遠くの環境や人々、あるいは、未来の世代に押しつける。
成長追求型の経済が、広く普及させた手法だ。
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経済成長とは、余剰が余剰を生むことなのである。