『宮城まり子とねむの木学園』(渡邊弘著 潮出版社)からの引用です。
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「ダメな子なんか一人もいない」
教育とは「生きていくお手伝い」
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宮城まり子さんの言葉です。
シンプルながら、真理を的確に表した言葉だと思います。
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サリバン先生が、三重苦のヘレン・ケラーに愛を教えたように、
形のない愛こそ、私が教えたい最大の理想です。
「やさしくね。やさしくね。やさしいことは強いのよ」
この言葉を、私はいつも職員や子どもたちにささやきます。
けんかをしたとき、「やさしいことは強いのね」とささやくと、
すぐ止めてくれます。
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この本には、村井実(慶應義塾大学名誉教授)さんの言葉もありました。
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「教育」での「愛」や「教育愛」というのは、
だれかが他のだれかや何かに打ち込むというような、
普通の「愛」の働きを言うのではない。
その意味で、かつての学校で先生方が熱く論議されていた、
美しいもの、善いものに向かう「エロス(あこがれの愛)」の働きとも、
あえて醜いもの、貧しいもの、弱いものなどに注がれる
「アガペー(慈悲の愛)」の働きとも、はっきり区別されるものであろう。
また、それは「創造愛」「形成愛」「表現愛」等、
教職の理想を芸術の域まで高めたい人々が強調してきた性質の「愛」の
そうした議論のどれにも
「教育」において働く「愛」が、そろいもそろって、
一方から他方に向かって注がれる「愛」の情熱でしかないように
論じられていたことに奇異の感を禁じ得ない。
私はむしろ、類まれな「愛」をもって「人にして神」と仰がれたという
スイスの教師ペスタロッチーが、
好んで「Gegen Liebe(応える愛)」という、
私たちには珍しく聞こえる言葉を用いて
「教育」を語っていたことを思い出す。
おそらく彼は、子どもたちに注ぐ彼自身の「愛」もさることながら、
子どもたちから返ってくる「Gegen Liebe(応える愛)」のすばらしさに、
この上ない感動を抱いて生きていたのではなかったであろうか。
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難しいけど「愛」とは、「相互作用」なんだと思います。
一方的ではありえないのです。
増幅していくものだと思います。
正直、この本を読むまで「宮城まり子」という人が、
こういうことをした人だったとうことを知りませんでした。
その宮城まり子さんは、三つの「もたせる」を大切にしました。
- 「興味」をもたせる
- 「自信」をもたせる
- 「責任」をもたせる
「もたせる」とは、教師が一方的に教えるということではなく、
それはあくまでも、子どもたちの「~したい」という、
よく生きることをするための基本的な欲求を大切にしながら、
それらを自らの力で活発に働くように「お手伝い」をしていくということです。
宮城まり子という人は、子ども一人ひとりをよく見て、
どの子にも愛を注いていた人でした。
そして、子どもたちの生きる力を信じて、
それを発揮できるように「お手伝い」をすることに徹した人でした。
その「愛」は、「応える愛」「形のない愛」だったようです。
その定義はできませんが、子ども一人ひとりに向き合う力、
外からは見えない子どもの力を見る力、できると信じる力、
そんな力を備えた人の中にある愛なのだろうと思います。
これを機に、宮城まり子さんが書かれた本を借りて読んでみることにします。