【学びの時間】「聴く」より「聞く」がずっと難しい

 

『聞く技術・聴いてもらう技術』(東畑開人著 ちくま新書)の

最後のまとめです。

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聞く技術 本質編

「なにがあった?」と尋ねてみよう。

どうしてもそう言えないときには、聞いてもらうからはじめよう。

 

聞いてもらう技術 本質編

「ちょっと聞いて」と言ってみよう。

今はそう言えないときには、聞くことからはじめよう。

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  • 「聞く」は声が耳に入ってくること。
  • 「聴く」は声に耳を傾けること。

どっちが難しい?

 

著者は、”「聴く」より「聞く」のほうが難しい " と言います。

実は著者も、ずっと「聴く」のほうが、ずっと難しいと思ってきました。

しかしあるとき気づいたのです。

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相手は、心の奥底にある気持ちを知ってほしいのではなく、

ちゃんと言葉にしているのだから、

とりあえずそれだけでも受け取ってほしいと願っています。

これが本当に難しい。

僕らにはどうしても相手の言うことを

真に受けることができないときがあるからです。

心の奥底に触れるよりも、懸命に訴えられていることを、

そのまま受けとるほうがずっと難しい。

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なぜ難しいのかは、こういうことのようです。

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利害が深刻に対立しているとき、僕らは相手の話を聞けません。

話せば話すほどに、傷つきが深まるからです。

僕らの心には、「敵か味方か」という想像力が働き、

お互いを悪魔化していくことになります。

(中略)

当事者どうして対立している問題について話し合いをするのが

どれだけ難しいことか。

家庭内の不和の多くが話し合いで解決されず、話をしようとすることで、

余計に悪化してしまうのと同じです。

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ではどうすればいいのでしょうか?

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そういう時に役立つのは、しばし距離をとることであり、

離れた場所から配慮を重ねる時間です。

対話から問題解決するのではなく、

対話をできる状態になること自体が最終目標です。

そのために、第三者の聞くちからが必要です。

当事者同士の対話が始まるまでには、

第三者がそれぞれの当事者の話をきちんと聞く必要がある。

友だちが聞いてくれていて、切実な事情を分かってくれているから、

自分のことを全然わかってくれない夫の言い分も

聞いてみようか思えるわけです。

テーブルに着くまでが大変なのです。

十分に話を聞いてもらい、自分の物語にも正当性があると信じられてはじめて、

他者の物語に耳を傾ける準備ができます。

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自分自身がアップアップのときには、人の話を聞くことができない、

これは誰もが体験する、ある意味当りまえの状態です。

しかし、アップアップのときには、そのことを忘れています。

だから、第三者が必要なんですね。

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当事者であるときは話を聞いてもらい、第三者であるときは話を聞いてみる。

立場は交互に入れ替わります。

あるときには聞いてもらう側だったけど、別のときには聞く側になる。

「聞いてもらう技術」を使うときもあれば、

「聞いてもらう技術」を使っている人を見つけて、

「何かあった?」と尋ねるときもある。

「聞く」がそうやってぐるぐるを循環しているときにのみ、

「社会」というものはかろうじて成り立つのではないでしょうか?

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社会ってそういうもんなんですね。

持ちつ持たれつなんです。

「聞く」と「聞いてもらう」の繰り返しなんです。

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聞いてもらうから、はじめてほしいと思います。

「聞くことのちから」は聞いてもらったときにこそ、

深く実感されるものだからだと思うからです。

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ある小説を読みました。

『宙ごはん』(町田そのこ著 小学館』です。

この物語、あったかい物語です。

持ちつ持たれつ、聞く聞いてもらうの繰り返しです。

立場が変わります。

聞いてもらった人が聞く側に回り、

また聞いてもらう相手が出てきたりします。

そこに、手作りの心のこもった「ごはん」があるのです。

 

この小説に出てくる人たちは、自分の思いを表現するすべを知らない、

だから、自分を卑下してしまう人たちです。

その人たちが、聞いてもらうことと温かい食事で救われて、

聞く立場になっていきます。

それが循環していくのです。

 

一方で、私自身は、この年になって、自分の価値観を、

いや思い込みをごり押ししようとする人がいることを知りました。

それは「聞く」「聞いてもらう」を越えた次元の感覚なのです。

そういう人たちと接すると、辛いというか、

とっても嫌な気持ちになるし。楽しくありませんね。

そんなとき、私は、「ありがとう」を唱えるることにしています。

それは、私にとって、大事な体験だからです。

「ありがとう」とと唱えるのは、

私のいまのかけがえのないおまじないです。

それは、私自身がアップアップではない状態だからこそできるのだと、

今の自分の状態に感謝「ありがとう」なんです。

 

一方、その人たちのことを思うと、辛いよねって思うのです。

楽しく生きていると思えないし、幸せだよねって思えないのです。

だって、「聞く」「聞いてもらう」の関係性を、

自ら断ち切っていると感じるからです。

その人たちを変えることはできないし、戦う必要もありません。

受け流したり、距離感を保つこと、それでいいと思っています。

 

今日で令和4年度が終わり、明日から令和5年度になります。

この節目に、内面を少し吐露してみました。

ありがとうございます。