【ライフワーク】ある児童の一言

 

今週読んだ『大切なキミに贈る本」(石井裕之著 祥伝社黄金文庫)より

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自分の人生におけるそのときそのときのことに

真剣に精一杯向き合った結果として、

「ああ、幸せっだったな」と思える。

そういうのが「幸せ」なんじゃないでしょうか。

だから、「幸せ」を目標とすべきではない。

目標となった「幸せ」は、やがて息苦しい強制となって、

キミの人生を暗くしてしまいかねないからです。

 

「あなたは幸せになるために生まれてきた」

という言葉を、僕は信じません。

キミは、「幸せ」になるために生きているのではない。

良い日もあるでしょう。悪い日もあるでしょう。

キミは、キミの、キミだけのそんな一日いちにちを精一杯生きればいい。

そのために、キミは生まれてきたのです。

たとえ世間一般の「幸せ」の中に自分がいなくても大丈夫。

キミは間違っていない。

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これはステキな言葉です。

その通りだと思います。

しかし、子どもたちにこの言葉を伝えることには躊躇します。

なぜなら、子どもたちは周りの大人たちによって、

縛られることもあれば、自由になることもあるからです。

自分の力でけでは、どうしようもない部分が大きいのですから。

ひとつのクラスに2-30人の児童生徒がいるとすれば、

この言葉が響かない子が何人かいる

ということを忘れてはいけないと思います。

だから、私はずっとこう思って、このブログにも書いてきました。

大人たちが最低限にしなければいけないことは、

子どもたちの将来を奪うような言動はしてはいけないのです。

それをするということは、最悪のパワハラだと思います。

 

約3週間前にやった中学1年生とのドリームマップで感じたことを

このように書いています。

【感じる時間】子どもたちの夢に思う - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)

そして今週月曜日に、都内の小学校でドリームマップをやってきました。

久しぶりの小学校4年生でした。

 

子どもたちはみんな元気いっぱいでした。

男子が女子よりほぼ5割多いので、なおさらです。

一緒に行ったドリマ先生からは、

子どもたちからエネルギーをもらったというより、

エネルギーを吸い取られた気がする、かわいいけど疲れたね。

そんな感じのドリームマップでした。

メインとしてやった私も、子どもたちに話を聞いてもらうために、

すごくパワーを使ったというのが正直なところです。

 

自分ことがどれだけ好きかを、コップの水で表現するところがあります。

そんな元気いっぱいの小学4年生の子どもたちだから、

たくさん入っているだろうと思っていました。

ところが、たくさんの子も何人もいたのですが、

ほとんどゼロに近い子も何人もいました。

まだまだ幼い感じの小学4年生のコップの水が、

どうしてこんなにも少ないのか、愕然とする思いでした。

 

今回のドリームマップで、ある男子の言った一言がずしんと響きました。

彼の夢は、「20何歳かで、みんなから信らいされる人」でした。

発表にある「その夢を持ったきっかけは」で、彼はこう言ったのです。

「親から信らいしてもらいたいからです。」

 

とても悲しいです。

この子に、

「キミは、キミの、キミだけのそんな一日いちにちを精一杯生きればいい。

そのために、キミは生まれてきたのです。」

とは言えません。

 

しかし、私は、子どもに「ぼくを信頼してほしい」と言わせる親を、

無下に責めることはできません。

親自身のコップの水が少ないからだと思えるからです。

どうしてそうなのでしょう。

 

先週読んだ『不登校でも学べる』(おおたとしまさ著 集英社新書)より

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もっているものは、手放せなくなるんですよ。

自分にとって必要なのがどれくらいかということよりも、

ひとよりもっと多くをもとうとする競争から逃れられなくなります。

その場合の「もっている」っていうのは、絶対的な学力というよりも、

同世代の子どもたちのなかで

優位なポジションにいるかどうかというような意味ですね。

キリがないんですよ。

 

「これはいい、これは悪い」。

そういう価値基準を決めて、そういう価値観をみんながもてば、

世の中がよくなるはずだという考え方が、

人間が論理を生み出してからずっとあると思うんですけど、

僕はそうならないと思っています。

だって、たとえば、これが優しい、これは優しくないって基準を設けて、

それを周知徹底して、みんなが優しくなったとしても、

人間は絶対に差をつけたくなるから、優しいみんなのなかで、

また優劣をつけはじめるんですよ。

 

つまりね、差をつけるための軸探しが善悪だと思うんですよ。

それを求めちゃう人間の性っていうのは、

根本的に、何かで自分の価値を証明できないと自分はダメなんだ

と思ってしまう弱さを持っているからだ思うんですよね。

だから、ひとと比べて自分は優位にありたいと思い、

善悪というモノサシを設けることで比較を可能にする。

そうするとすっきりするでしょ。

だから、学力の差をなくそうとしても、キリがないんですよ。

ちょっとの学力差を大げさにとらえてしまう社会のほうをなんとかしないと。

それと人生の幸せとは別の話ですよね。

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人が人としてあるがままを認めるのが難しい社会になっています。

私は、こんな社会を変えることはできません。

だから、自分にできることをしていくしかないのです。

 

私が、ドリームマップをやり続けるのには理由があります。

1時間目のコップの水が、6時間授業が終わったときにすごく増えるからです。

今回もそうでした。

 

そして、振り返りのときに、子どもたちから出てくる言葉は、

毎回こんな感じなのです。

  • 夢がなかったと思ったがあることが分かった
  • 友だちの夢もみんな違っていていいなと思った
  • みんなよく考えていることが分かった
  • 友だちの夢を応援したくなった
  • 緊張したけど伝えられてよかった
  • 発表して自分の夢に自信が持てるようになったなど

 

ドリームマップ授業は、夢を描くことを楽しむ時間です。

こんなことしたいな、こんな大人になりたいな、そんな夢を描きます。

大きいとか小さいとか関係ありません。

人と比べる必要もまったくありません。

1時間目から6時間目まで、

子どもたちは、そんな稀有な時間にどっぷりつかることができるのです。