『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』(斎藤環著 ちくま文庫)
からの学びです。
ほぼ書き留めたものを書きだしただけの、
これまでとはちょっと違うブログです。
なぜ書き出したのかは、私のいまに関わることだからです。
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<ダブル・バインドとは>
アメリカ:
- 愛していると言いながら、足を踏んづけている状態。
- 言葉では愛していると言いながら、態度は非常に冷たい。
日本:
- 言葉で否定しながら、たえず抱きしめている。
- 口ではたくさんの小言を言う。
- 批判的、否定的な発言をしていることが多い。
- でも、食事の世話から洗濯まで、身の回りのことは全部やってあげている。
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<不登校の場合>
- 「登校が是か非か」が問題ではない。
- 「どうすれば子どもが元気になるか」こそが問題。
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<ニートとひきこもり>
- 対人関係があればニート、ないものがひきこもり。
- 対人関係がずっと欠けた状態であれば、どんなに毎日外出していても、ひきこもりということになる。
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<社会的ひきこもりとは>
- 社会参加しない状態が6カ月以上持続しており、精神障害がその第一要因とは考えにくいもの。
- ただし、「社会参加」とは、就学・就労しているか、家族以外に親密な人間関係がある状態を指す。
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<不安とは>
- 不安には「生存の不安」と「実存の不安」(自信、生きがい)がある。
- 「自己愛」は、「自分は自分である」という感覚である。
- プライドが高い人は往々に自信がない。
- 自信がある人はプライドにこだわらない。
- ひきこもりの人は一般に、自信がないのにプライドが高い。自分自身を愛することに失敗している。
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ジャック・ラカン(精神分析家)の言葉 「欲望は他者の欲望である」
- 自分だけの欲望と思い込んでいるものは全部、他者からの借りものであるという理論。
- ひきこもりの人たちは、しばしば欲望を欠いた人にみえる。
- 正確に言えば、決して欲望をなくしてはいないけれど、欲望の方向が定まっていない人が多いという印象がある。
- 家族の欲望を直接本人に押しつけようとしても、本人はひたすら拒否するだけ。
- 家族が本人にとって想定外な方向で動くことができれば、そこに他者性が芽生えてくる。
- 「家からでていけ」とか何とかいう姿勢は、すべて本人の「想定内」。
- 「働きたい」は、欲望か義務か? 本人もハッキリしない。
- 身近に他者がいると、義務と欲望の区別がつけやすくなる。
- ひきこもりの人が現状から抜け出そうと思うなら、最初の課題は「仕事」ではない。他者に出会うこと。
- 欲望というものは、他者と出会うことによって獲得したり交換したりするもの。
- もし家族が本人にとって他者のように振る舞いたいと思うなら、家族が率先してその欲望を実践していくことが望ましい。
- 他者と付き合ってほしいなら、両親が人付き合いに積極的に取り組む。外出したり旅に行ってほしいなら、両親が頻繁に出かける。
- 欲望は感染する。精神分析の言い方では「転移」。
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今回は読書メモを、そのまま記してみました。
社会的ひきこもりとは言えないけれども、身近に抱えている現実は、
そう簡単なものではない。
その感覚に浸ってもう長い時間が過ぎたが、まだ現在進行形でもある。
ここから学ぶことは、要は、
" You " で語るのではなく、" I "で語るということなのだろう。
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愛することは愛されること、憎むということは憎まれるということ、
信頼することは信頼されること、保護することは保護されること。
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答えのない問いを出し続けていくほかないと思います。