金曜日までに、図書館で借りていた本を読み切ったので、
昨日の土曜日の5回目コロナワクチン接種会場に
持って行って読む本がなくなりました。
自宅の多くはない蔵書の中で見つけたのがこの本です。
こんなの買っていたんだと気づきました。
図書館で借りて読んだとき、いいと思ったから買ったのだと思います。
この本を昨日と今日で読んでみました。
河合隼雄さんの本は、過去に何冊か読んでいますが、
このブログを「こころの処方箋」で検索してもヒットしませんでした。
「河合隼雄」で検索しても、ひとつだけしかなく、
Facebookでシェアした言葉を書いたものでした。
この本は、トーハンの新刊ニュースという月刊誌に連載されたものを集めて、
さらに10ばかり書き足したものだということでした。
どれもきっかり文庫本4ページに収まっています。
全部で55のエッセイのような思索集が納められていました。
それぞれが面白いのですが、引用するのが難しい内容です。
4ページという限られた文字数のなかに、ものがたりが収まっている感じです。
だから、全部読んでなるほどという感じなので、
一部だけを引用するのが難しいのです。
かといって、私が要約すると、
それは書かれていることと違ったものになりそうでできません。
これまで、河合隼雄さんの本の内容をこのブログに書かなかったのは、
そんな難しさがあったからでしょう。
その中で、二つだけ書きとったものがあるので引用します。
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努力によってものごとは解決しない、と知って、
一切の努力を放棄して平静でいられる人は、
これは素晴らしくて、何の言うこともない。
努力とか解決とかいう次元は、この人にとって関心事ではない。
しかし、われわれ凡人は、努力を放棄して平静でなど居られない。
いらいらしたり、そわそわしたり、近所迷惑なことである。
そんな状態に陥るくらいなら、努力でもしている方がまだましである。
それにひょっとして解決でも訪れてきたら、嬉しさこの上なしである。
こう考えて、まあ努力でもさせていただこうかとやっていると、
解決が簡単に訪れないからと言って、怒る気も嘆く気も起ってこない。
解決などというものは、しょせん、あちらから来るものだから、
そんなことは「目標」にせずに、
せいぜい努力でもさせていただくというのがいいようである。
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自立ということを依存と反対であると単純に考え、
依存をなくしてゆくことによって自立を達成しようとするのは、
間違ったやり方である。
自立は十分な依存の裏打ちがあってこそ、そこから生まれてくるものである。
子どもを甘やかすと自立しなくなる、と思う人がある。
確かに、子どもを甘やかすうちに、親の方がそこから離れられないと、
子どもの自立を妨げることになる。
このようなときには、実は親の自立ができていないので、
甘えること、甘やかすことに対する免疫が十分にできていないのである。
親が自立的であり、子どもに依存を許すと、
子どもはそれを十分に味わった後、勝手に自立してくれるのである。
自立と言っても、それは依存のないことを意味しない。
そもそも人間は誰かに依存せずに生きてゆくことなどできないのだ。
自立ということは、依存を排除することではなく、
必要な依存を受け入れ、自分がどれほど依存しているかを自覚し、
感謝していることではなかろうか。
依存を排して自立を急ぐ人は、自立ではなく孤立になってしまう。
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