小谷先生は、誰も受け入れようとしない知的障害のある子を、
周りの反対を押し切り受け入れ、どんな状況でも守り抜きました。
鉄三というまったくしゃべらない、友だちとも遊べない子に寄り添います。
その子の好きなハエ、ハエ博士ともいわれる得意なことに、
小谷先生は関心を寄せ、いっしょに観察して学んでいきます。
字も書けなかった鉄三は、ハエの名前を書いていきます。
そして、言葉が出てこなくても、
友だちとのコミュニケーションは取れるようになってきました。
好きや得意を伸ばす教育がありました。
一方で、今の時代の先生にそこまで期待するのは、
以前に学んだ先生の状況からすると、かなり酷かなと思います。
【学びの時間】先生の応援団として知っておきたいこと - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)
「兔の眼」とはなにか?
ネットにはこんなものがありました。
『兎の眼』 / 東海大学新聞 (tokainewspress.com)
本の中には、たった1か所だけ「兔の眼」が出てきます。
-----------------------------------
西大寺は竹がいいと小谷先生は思う。
お寺の中に竹におおわれた細い道がある。
そこには、まだ白壁が残っていて竹の青によくあうのだった。
本堂の中は夏でもひんやりしている。
ここは素足にかぎる。
小谷先生はソックスを脱いで、その冷気にふれた。
そして、まっすぐに堂の左手の方に歩いていった。
そこに善財童子という彫像がある。
「こんにちは」と小谷先生は呼びかけた。
「ちゃんとまっていてくれましたね」
小谷先生はほほえんだ。
あいかわらず善財童子は美しい眼をしていた。
ひとの眼というより兔の眼だった。
それはいのりをこめたように、ものを思うかのように、
静かな光をたたえてやさしかった。
---------------------------------------
小谷先生が2度西大寺を訪れたときのことが書かれています。
上記の表現は、一人で訪れたときのものです。
もう一度は、夫と一緒に行っています。
夫はうわのそら、何も見えていなくて何も感じていませんでした。
小谷先生は、どんなにつらい状況があっても、
子どもたちと接し、子どもたちのために頑張っているときは、
小谷先生はイキイキとして、幸せでした。
その心豊かな社会の外にいる夫は、
お金、地位権威を成功の対象としてみる会社社会に住んでいます。
そんな夫と一緒にいるとき、小谷先生はつらい思いをしていました。
人が生きるとき、ほんとうに大事なものは何か?
をすごく考えさせる名作でした。
自ら動くことが、人の意識にも影響を及ぼすのです。
そして、ほんとうに大事なことを大切にする人が増えてきます。
さらに、子どもたちの純粋さを大事にする人が増えてきます。
そんなことを感じさせる名作でした。
次に、『太陽の子』も図書館に予約しました。
これまで、本を読むことは学びを深めることだと思っていました。
その学びを、【学びの時間】としてブログに書いてきました。
最近小説も少し読むようになって、今回『兔の眼』に接して、
本を読むということは「感じる時間」でもあると思い、これを書きました。