謙虚ということについて

「謙虚」の字面だけをみると、「へりくだる」「からっぽ」ということなので、

イマイチ好きな言葉ではありませんでした。

自分を下げて他を敬うという意味だと、よしとは思えない私ですが、

「驕ることなく素直である」ことと考えると、

今だからこそ、一番大事なことではないかと思えます。

 

謙虚さのない、驕った社会の膿が出てきているのが、

いまのコロナ禍という踊り場、人間が見失っていた本来の大事なものを、

取り戻して進化していくに必要な踊り場ではないかと思います。

 

『話せない子、話さない子の指導』野口芳宏著にこう書かれています。

 

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話す力を高めるという場合でも、

話さない子を話せるようにするという場合でも、

最も大切なことは、自分自身が謙虚になるということではないか。

「学ぶ」ということが、「向上」の絶対条件であるが、

学ぶという行為は必然的に謙虚という態度を必要とする。

自分の力の貧しさを知る者は、他者の前で素直に学ぶことができる。

学ぶということが、自らの力の貧しさを補うことだからである。

 

ゲーテは言っている。

「賢人から学ぶ愚者は少なく、愚者から学ぶ賢人は多い」と。

 

賢人とゲーテが規定する本質は何か。

それはおそらく「謙虚」ということである。

高慢な愚者は、賢人からさえ学ぶことをしないのである。

学び続けることが、自らを向上させる唯一の道である。

 

学び続けることは、常に自ら謙虚になることである。

主張や提言にのみ急な人は、とかく謙虚な心を忘れて高慢になりやすい。

主義や提言そのものは大切だが、それをするときでさえ、

「この主張や提言は、はたして適切なものでしょうか」

と人に尋ねる謙虚さを忘れてはならない。

謙虚に我が身を振り返る者は、あらゆる場で学んでいく。

謙虚な心で話し合うものは敵をつくらない。

敵をつくるのは、どこかに高慢な心が隠されているからである。

よりよい談話生活を育てていく上で、最も大切なことは、

「謙虚な心」をお互いに持つということではないかと、

自戒を込めて、私はしみじみを思っている。

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このフレーズを読むと、よくテレビに出てくる人たちの顔が目に浮かびます。

 

いまの時代、何事も他責にしてしまう時代のように思えます。

いや、そうせざるを得ないくらい追い詰められた時代と言えるでしょう。

あいつが悪い、これが悪いといくら主張しても、

それは改善されるどころか、火に油を注ぐことになってしまいます。

ステイホームのいまは、自分に向き合う時間、

どんな小さなことでもいいから、自分にいまできることは何かを考え、

それを実践するときではないでしょうか。

 

他人がやるべきことを考えるのではなく、

自分にできることを大切にするのが「謙虚さ」ではないかと思います。

私は、自分の心を豊かに保つこと、それが一番大切なこと、

そう思って、この三連休を過ごします。

 

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写真には、特に意味はありませんが、

リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、

散歩中に撮ったものを適当に貼っています。