【学びの時間・感じる時間】読書(会)の不思議

先週から今週にかけて、何冊か本を読み終わり、また読んでいます。

たとえば、

  • 『発達障害の人が見ている世界』岩瀬利郎著
  • 『対岸の彼女』角田光代著
  • 『ストレス脳』アンデシュ・ハンセン著
  • 『うつ病のぼくが始めた行商って仕事の話』ちゃんちき堂のてつ著
  • 『川のほとりに立つ者は』寺地はるな著

そして、今日の午後読み始めたのが『ものがわかるということ』養老孟子著。

これだけ読んで、メモを取ったのは2つの言葉(文章)だけでした。

 

今日の午後は、ピッピが主催するi-ze(いーぜ)の読書会でした。

毎月、遅々として進んでいく読書会です。

『生きがいについて』神谷恵美子著を読んでいます。

 

参加者の「最近あったうれしいこと」「今朝起きたときに思ったこと」を

最初に話すので、そこにかなりの時間がかかります。

それぞれの生活、仕事、関心事、生き方が違うので、

いろんなエピソードが出てきます。

さらに、本文を読んで語る言葉も、人生の背景がにじみ出ていたり、

経験上の気づきなど、様々な内容が包含され、結構深い話にもなります。

 

それゆえ、長いことやっていますが、まだ半分にも至っていません。

今日も90分で、2ページだけ進みました。

 

小題「価値体系の崩壊」にこういう言葉があります。

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心の世界がこわれ、足場がうしなわれるということは、とりもなおさず、

その世界を支える柱となっていた価値体系がくずれ去るということである。

つまり、いままで生存目標としていたものがうしなわれたとき、

ひとはもはや何のために生きていくのか、何を大切に考えるべきか、

その判断の基準がわからなくなる。

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この「価値体系がくずれ去る」というのが、私にはわかりません。

実感がないからです。

だから、後半の「生きる意味」的な内容を読んだときに、

先ほど読んだフレーズが出てきたのです。

 

『ものがわかるということ』(養老孟司著 祥伝社)のまえがきに、

こんな言葉がありました。

読書会の始まる前に、書き留めた言葉です。

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人生の意味なんか「わからない」ほうがいいので、

わからないと気がすまないというのは、気がすまないだけのことで、

それなら気を散らせばいい。

私は、気を散らすために、虫捕りをはじめとして、いろいろなことをする。

今日も日向ぼっこをしていたら、虫が一匹飛んできた。

寒い日だったから、なんとも嬉しかった。

今日も元気だ、虫がいた。

それが生きているということで、それ以上なにが必要というのか。

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『生きがいについて』は、

らい病(ハンセン病)の人たちの辛い状況を扱っているので、

内容はすごく深刻です。

読む側としては、その事実や感覚は大事にしないといけないものの、

感じ方は多様であってもいいと思います。

 

今の自分や人たちは、どう感じていくのがいいのかを考えたとき、

もっと楽にしたらいいんだよというのが、

この養老孟司

そのとき、話はしなかったけど、私の中にあったのは、

ケリー・マクゴニカル博士のTEDトークです。

ストレスと友達になる方法|ケリー・マクゴニガル - ぼくらの転職戦記 (tenshoku-senki.com)

「ストレス」は病気の原因となると信じて伝えてきたけど、

本当はそうではなく、「ストレス」は体に良くないと思っていることが、

病気の原因になり、致死率も高くなるということなんです。

悩み過ぎないこと、そして単なる不安は忘れること、

すなわち「気晴らし」が必要なんです。

 

 

今日読んだもうひとつの小題「疎外と孤独」にこういう言葉があります。

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生きがいをうしなったひとは、みな一様に孤独になる。

つまりこういうひとは、人生の明るい大通りからはね出され、

それまでそこにはまり込んで暮らしていた平和な世界は、

急に自分から遠のいてしまい、皆のにぎやかな忙しそうな生活は、

自分と何の関係もなくなり、自分はまったく仲間はずれとなる。

もはや社会にも家庭にも、自分のはいりこみうる隙間もない。

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このフレーズを読んだとき、もう一つのメモを思い出しました。

数日前に読んだ『対岸の彼女』(角田光代著 文春文庫)には、

主人公が2人いて、その一人の小夜子の物語は現在進行形、

葵の物語は、現在に至る過去の生い立ちとして、並行して綴られています。

その葵は、高校時代の唯一の友達の魚子(ナナコ)と、

こんな会話をしています。

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「あたしいろいろ言われているけど、全然平気なんだよ」

和室でジュースを飲みながら、ぽつりとナナコはつぶやいた。

「大事なものが学校にはないから?」

いつかのナナコのせりふを思い出し、葵は訊いた。

「それもあるけど...。

今みんながあたしについて言っていることは、

あたしの問題じゃなく、あの人たちの抱えている問題。

あたしの持つべき荷物じゃない。

人の抱えている問題を肩代わりして一緒に悩んでやれるほど

あたしは寛大じゃないよ」

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このナナコは、家庭に恵まれない生い立ちの中で、たくましく生きています。

いろいろと卑下されるようなことを言われますが、

いじめる側にも、いじめられる側にも属さず中立的な位置を維持しています。

一方の葵は、中学校で不登校になり、転居・転校して、

このナナコと知り合いになります。

葵の一人の孤独が、二人の孤独になり、波乱の高校生活をナナコと送ることで、

葵はたくましく生きるようになっていきます。

 

人からいろいろ言われると傷つきます。

それは仕方がないことです。

しかし、この考え方は大事だと思ってメモしました。

自分は何も悪いことをしていないのだから、

それは自分の問題ではなく、言っている側が抱えている問題だということ。

だから、私がかわいそうなんじゃなくて、

かわいそうなのはいじめる側だということなんです。

それに対抗して、反発して、自分も同じようなことをすれば、

それは、自分を相手のレベルに引き下げてしまうことなんです。

 

個人的に、これは生きていくうえで、

とっても大事な認識しておくべきことだと思って書いています。

 

読書会には予習はせず、ぶっつけ本番で参加しています。

こじつけ感はないとは言えませんが、

ここ数日でメモした2つのフレーズが、

今日読んだ部分に、ぴったりフィットしたと私は感じています。

 

読書と読書会のおかげでこれを書くことができました。

ありがとう!

 

写真に意味はありませんが、

リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、

散歩中に撮った写真を適当に貼っています。