今日予定していた「きりがみリース&きりくずアート カレンダー」の
ワークショップは申し込みがなく、中止としたので、
ぽっかりと空いた日曜日となりました。
そのおかげで、いま一番必要なことを集中してやることができたのは、
とてもラッキーです。
新1年生は、明日から給食が始まり、放課後子ども教室にやってきます。
そんな明日からのことについてじっくり考える時間が、今日取れました。
なんとかやり切ることができたので、肩の荷が下りた感じがして、
すがすがしい気持ちで、お散歩に出かけることができました。
昨日書いたブログに引用した『ものがわかるということ』(養老孟子著)
には、自然と触れ合うことの大切さが書かれていました。
人間は、都市化した場所からしばし離れて、
自然に身を置くことが必要なんです。
ネットからの引用ですが、養老孟子さんは、
その都市化の怖さをこんな形で表現されています。
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周囲を城郭や堀などで囲い、コンクリートで道を舗装し、
植物を人工的に植栽する――都市とは、
人間の考えたものしか置いていない「人工空間」だと著者は指摘する。
都市に暮らす人間が洋服を着たり化粧をしたりするのも、
人の身体が“自然のまま”ではない、
つまりコントロール可能だということを表すためだ。
つまり都市とは、あらゆるものが人間の脳の考える通りにつくられた、
「脳が化けた」社会なのである。
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自然に触れるというのは、なにもたいそうな自然でなくても、
身近な小さな自然でいい、というのが私の思っているところです。
ゆっくり歩くと、普段見えないものが見えてきます。
今日の午後、そんなゆったりとしたお散歩を楽しみました。
マンションを出て南に下り、まずは日枝神社にお詣り。
八高線の踏切を渡り、新奥多摩街道を渡り、犬神水辺の散歩道を歩きます。
その先に、多摩川の流れがあります。
多摩川の多くの自転車が行き交う遊歩道を上流に向かって歩き、
拝島大師のそばの拝島のフジを見て帰ってきました。
約1万歩のお散歩でした。
多摩川べりにある今年はあまり見ごたえのなかった河津桜は、
もうこんな感じになっていました。
来年はたわわに咲いてくれるでしょう。
その先の雲行きは、とても重たいものになっていました。
あっという間に、私の頭上に黒い雲が来ましたが、
幸いにも雨は落ちてこず、快適なお散歩を全うできました。
拝島のフジは、枝が切られてなんだかスカスカな感じがしました。
例年なら、たわわに、もっと下まで垂れているのに、
今年は閑散とした感じです。
今日はなぜか、チョウの姿はほとんど見かけることはありませんでしたが、
ベニシジミやハチ(ハエ?)が、ハルジオンの蜜を吸っていました。
モッコウバラにもハチ(ハエ?)がいました。
シロヤマブキには、カナブン(ハナムグリ?)が。
ヒメヘビイチゴにも虫が。
そして、セイヨウタンポポのタネのふわふあボールがあちこちに。
なんだかすごいアートですね。
ここからは、散歩の途中に出会った花たちです。
あちこちにたわわに咲いていたのは、モッコウバラとスズカケです。
週末の小さな自然を楽しむお散歩、
そして神社への「ありがとうのお詣り」あってこその
心豊かな日々の生活があると、私は感じています。