【気の向くまま日記】2021年の穏やかな年の瀬

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なにげなく使っている言葉、実はきちんと理解していないことが多い。

「年の瀬」も、なんとなく今の時期という感じだけで使っている。

「年の瀬」とは一体いつ?意味と語源と併せて使い方と例文も紹介 | TRANS.Biz (trans-suite.jp)

この内容からすると、「穏やかな」と「年の瀬」は相反する言葉である。

それにしても、何の脈絡もない広告があちこちにあふれている。

このネットサイトの状態って、何とかならないものだろうか。

みんな、年がら年中、年の瀬を競っているかのようである。

 

30日の今日も、東京は快晴。

冬なので寒いのは当たり前だが、寒さはそれほどでもない。

冬だから寒いのは当たり前とつい書いてしまったが、

そうとも言えなくなってしまうのだろうか。

夏は暑いのは当たり前と言えなくなっている。

暑いを通り越してしまった感じだ。

 

まず、なぜこんなブログを書くのかについて触れておこう。

これまで、ブログは、主に読書をして響いた言葉をピックアップし、

自分の想いなどを重ねて書いてきた。

最近は、特に【学びの時間】というのが増えている。

引き続きずっと本は読んでいるが、これはというものがあまりない。

だから、時間的な余裕がないこともあり、ブログを書く回数が減っている。

一方、時間の余裕がないということは、

いろいろとやっていることがあるということなので、

Facebookにはそれなりに投稿している。

 

このブログはSol Cafe 「幸せの栖」なので、

FacebookのSol Cafe ページにリンクしている。

逆に、Sol Cafe ページは、ブログのリンク先になっているのも事実。

タイムラインは、ちょっと伝えたい出来事を中心に書いている。

これまでもそうやってきたし、多分これからもそうするだろう。

 

ブログは、Facebook外の人にも少し読んでもらえるようになったので、

学びの内容だけではなくて、Sol Cafe 「幸せの栖」の想いに通じることを、

日記風に書いてみようと思っている。

たまたま、【学びの時間】というタイトルになってしまったが、

28日の投稿内容は、日記風であった。

 

【徒然日記】or【つれづれ日記】としようかと思ったが、

この徒然とは、こんな意味だった。

  • 次から次へと物思いにふけること
  • ひとり寂しくはてしない物思い
  • 変化がなくても単調なさま
  • また、その結果、つまならいと思う精神状態

寂しくもつまらなくもないよねと思った。

 

では【エッセイ】は、

思索や意見、感想などを形式にとらわれず、簡潔に述べた文学のジャンル

ということなので、文学とはおこがましいと思った。

 

よって、つけたタイトルは【気の向くまま日記】。

 

今日は少し寝坊して、気がついたら8時半少し前だった。

羽鳥さんのモーニングショーを見ようと思ってテレビを点けたら、

年末なのでやっていなかった。

NHKは、チコちゃんのクリスマスイブの特別番組の再放送、

でもそれがちょうど終わるときだった。

キョエちゃんが江戸川慕情を歌い始めた。

” あ~あ~、江戸川のせせらぎで~」と歌っている。

「江戸川って、せせらぎじゃないだろう!」が、口から出てきた。

せせらぎとは、

  • 音を立てて流れる小さな、あるいは浅い水の流れ、浅瀬、小川

なのであるから。

 

つい、NHKプラスの登録をして、チコちゃんを観てしまった。

普段、テレビは、朝と夜のニュースと+αくらいしか観ない。

iPadも、「みてね」で孫の動画を見るくらいで、

落ち着いているときにパソコンで大体のことはするので、

外に出ているときに必要な最低限のことにしか使っていない。

移動中は、ネットではなく、もっぱら読書である。

iPadがいるのかとなると、もったいないなという気がしている。

だから、一回充電すると、丸2週間持つこともある。

それが、チコちゃんだけで10数パーセント電池を消耗してしまった。

 

時刻はもう10時。

思い立って、有効期限が明日までの

イトーヨーカドーの割引のはがきをもって、

大物のスパークリングの水とお米を買いに行ってきた。

そしてこれを書いていたら、正午を回ってしまっている。

 

何とも生産性のない午前中だったなともいえる。

しかし、気の向くままにやりたいことをやっているのである。

 

2泊3日で、孫のところに行っていた奥さんが昨日の夕方帰ってきた。

秋にはRSウイルスに感染、今回はロタウイルスだ。

そんな時には、融通の利くお仕事の有給休暇をとって、

仕方ないと言いながら、嬉々として出かけていく。

そんな時は、洗濯など私の家事の量は増えるが、それもまたよし。

午前中、こうやってゆっくりできるのは、

奥さんが洗濯などをやってくれているおかげ。

この後、昨晩の残りのカレーを食べてお昼にする。

 

実は、昨日も気の向くままにやりたいことをやった。

必要最低限の家事のほか、年賀状を書いて出した。

年々数が減っているし、かつては手書きだったあて名書きも、

ここ数年は筆ぐるめでやるので、短時間でできるのがありがたい。

そのあと、もうどうしようもなくなっている家の片づけを始めた。

孫娘がお正月に来るので、やらないわけにいかないのである。

たぶん今日の午後は、奥さんと一緒にその続きをやることになるだろう。

 

昔は、こんな時間の使い方は非生産的だと思っていた。

しかし、自分が満たされる人間らしい豊かな生き方とは、

こういうことなのかもしれないなと感じている今日この頃である。