なにげなく使っている言葉、実はきちんと理解していないことが多い。
「年の瀬」も、なんとなく今の時期という感じだけで使っている。
「年の瀬」とは一体いつ?意味と語源と併せて使い方と例文も紹介 | TRANS.Biz (trans-suite.jp)
この内容からすると、「穏やかな」と「年の瀬」は相反する言葉である。
それにしても、何の脈絡もない広告があちこちにあふれている。
このネットサイトの状態って、何とかならないものだろうか。
みんな、年がら年中、年の瀬を競っているかのようである。
30日の今日も、東京は快晴。
冬なので寒いのは当たり前だが、寒さはそれほどでもない。
冬だから寒いのは当たり前とつい書いてしまったが、
そうとも言えなくなってしまうのだろうか。
夏は暑いのは当たり前と言えなくなっている。
暑いを通り越してしまった感じだ。
まず、なぜこんなブログを書くのかについて触れておこう。
これまで、ブログは、主に読書をして響いた言葉をピックアップし、
自分の想いなどを重ねて書いてきた。
最近は、特に【学びの時間】というのが増えている。
引き続きずっと本は読んでいるが、これはというものがあまりない。
だから、時間的な余裕がないこともあり、ブログを書く回数が減っている。
一方、時間の余裕がないということは、
いろいろとやっていることがあるということなので、
Facebookにはそれなりに投稿している。
このブログはSol Cafe 「幸せの栖」なので、
FacebookのSol Cafe ページにリンクしている。
逆に、Sol Cafe ページは、ブログのリンク先になっているのも事実。
タイムラインは、ちょっと伝えたい出来事を中心に書いている。
これまでもそうやってきたし、多分これからもそうするだろう。
ブログは、Facebook外の人にも少し読んでもらえるようになったので、
学びの内容だけではなくて、Sol Cafe 「幸せの栖」の想いに通じることを、
日記風に書いてみようと思っている。
たまたま、【学びの時間】というタイトルになってしまったが、
28日の投稿内容は、日記風であった。
【徒然日記】or【つれづれ日記】としようかと思ったが、
この徒然とは、こんな意味だった。
- 次から次へと物思いにふけること
- ひとり寂しくはてしない物思い
- 変化がなくても単調なさま
- また、その結果、つまならいと思う精神状態
寂しくもつまらなくもないよねと思った。
では【エッセイ】は、
思索や意見、感想などを形式にとらわれず、簡潔に述べた文学のジャンル
ということなので、文学とはおこがましいと思った。
よって、つけたタイトルは【気の向くまま日記】。
今日は少し寝坊して、気がついたら8時半少し前だった。
羽鳥さんのモーニングショーを見ようと思ってテレビを点けたら、
年末なのでやっていなかった。
NHKは、チコちゃんのクリスマスイブの特別番組の再放送、
でもそれがちょうど終わるときだった。
キョエちゃんが江戸川慕情を歌い始めた。
” あ~あ~、江戸川のせせらぎで~」と歌っている。
「江戸川って、せせらぎじゃないだろう!」が、口から出てきた。
せせらぎとは、
- 音を立てて流れる小さな、あるいは浅い水の流れ、浅瀬、小川
なのであるから。
つい、NHKプラスの登録をして、チコちゃんを観てしまった。
普段、テレビは、朝と夜のニュースと+αくらいしか観ない。
iPadも、「みてね」で孫の動画を見るくらいで、
落ち着いているときにパソコンで大体のことはするので、
外に出ているときに必要な最低限のことにしか使っていない。
移動中は、ネットではなく、もっぱら読書である。
iPadがいるのかとなると、もったいないなという気がしている。
だから、一回充電すると、丸2週間持つこともある。
それが、チコちゃんだけで10数パーセント電池を消耗してしまった。
時刻はもう10時。
思い立って、有効期限が明日までの
イトーヨーカドーの割引のはがきをもって、
大物のスパークリングの水とお米を買いに行ってきた。
そしてこれを書いていたら、正午を回ってしまっている。
何とも生産性のない午前中だったなともいえる。
しかし、気の向くままにやりたいことをやっているのである。
2泊3日で、孫のところに行っていた奥さんが昨日の夕方帰ってきた。
秋にはRSウイルスに感染、今回はロタウイルスだ。
そんな時には、融通の利くお仕事の有給休暇をとって、
仕方ないと言いながら、嬉々として出かけていく。
そんな時は、洗濯など私の家事の量は増えるが、それもまたよし。
午前中、こうやってゆっくりできるのは、
奥さんが洗濯などをやってくれているおかげ。
この後、昨晩の残りのカレーを食べてお昼にする。
実は、昨日も気の向くままにやりたいことをやった。
必要最低限の家事のほか、年賀状を書いて出した。
年々数が減っているし、かつては手書きだったあて名書きも、
ここ数年は筆ぐるめでやるので、短時間でできるのがありがたい。
そのあと、もうどうしようもなくなっている家の片づけを始めた。
孫娘がお正月に来るので、やらないわけにいかないのである。
たぶん今日の午後は、奥さんと一緒にその続きをやることになるだろう。
昔は、こんな時間の使い方は非生産的だと思っていた。
しかし、自分が満たされる人間らしい豊かな生き方とは、
こういうことなのかもしれないなと感じている今日この頃である。