社会の主役を考える

不登校に関する本の学びの中から、

「親として一番大事なこと」を考えてきました。

多くの子どもたちが、どうして不登校になるのか、

どうしたらそれを脱け出せるのか、

それを考えたとき、⑤で書いたように、

それは「子育て」そのものだということがわかります。

 

延いては、そんな「子育て」が難しくなっているのは、

強い言い方をすれば、「社会」が、本来あるべき姿から、

歪んだ状態になってしまっているから、そう思えるのです。

 

生物の最大の使命は何か?

といえば、子孫を残すことですね。

 

その意味でも、コロナウィルスは変異を重ねながら、

必死に子孫を残し続けようとしています。

自然の摂理と言ってしまえばそうですが、

大脳新皮質と言う優れた頭脳を手に入れた人類だけが、

その自然の摂理から外れた「あり方」になっているように思えます。

 

新型コロナウイルスが伝えようとしているのは、

そのことではないかと思えます。

人類が生き続けるために必要なかけがえのないものを、

人類自らがないがしろにしていきたということです。

 

ちょっと脱線します。

 

親は、不登校・ひきこもりの子どもに対したとき、

つい自分の立場ですべてのことを考えてしまいがちです。

本当は、子どもの立場に立つ、

自分が子どもの立場だったらとイメージすることが、

なぜか難しいのです。

私の場合も、息子の問題が深刻になるまでは、

順風満帆な人生を送ってきました。

自分のあり方はそれでいいと思っていました。

順風に乗ってきただけに、

前に進むどころか、後退している息子の行動ばかりに意識が行き、

イライラするばかりで、なぜそんなことになるのか、

息子の気持ちはさっぱり理解できないでいたのです。

 

世界はさておき、日本に目を向けると、

日本を動かす立場にある政治家や高級官僚はエリート集団だということです。

たぶん、弱者の気持ちは理解できません。

自分の思い込みが正しいと思っているので、

自分の意志にそぐわない建設的意見に耳を傾けようとすることがない、

そう思えてしかたがありません。

滑稽なことに、自分の思い込みで、自然の摂理、パワーを、

甘く見過ぎているとしか思えません。

 

自助・共助・公助とはよく言ったもので、

この順番は、公助は当てにしないように、

という宣言だったことがわかります。

 

しかし、いま、自助・共助のところで、力強い動きが出ています。

一般には見えにくいところで、

いろんな専門家や志のある人たちが動いています。

また、それが徐々に目に見えるようになってきています。

 

この流れは、必然的に生まれていると思えます。

逆に、今回の新型コロナの感染がなければ、

偶然に起こることではなかったともいえます。

 

話を戻します。

 

私の最大の関心事から社会を見ると、その歪みは、

社会の優先順位が違っているということです。

 

そんなに遠くない昔、よく勉強していないのでイメージだけで言いますが、

家族の中心には「子ども」がいました。

そして、コミュニティの中心にも、子どもがいました。

 

子孫を残すという言い方は適切ではありませんが、

元気な子どもたちを育て、これからの社会をよりよくしていこう、

そんな気持ちが、人びとの無意識の中にあり、

それによって、「子どもが主役」の社会となっていたのだと思います。

 

いま、最優先されているのは、これまでの動きを見ていると、

人命より経済と言っても過言ではないでしょう。

わたしは、最優先は短期的には、今の状態では「人命」ですが、

中長期的には、「子育て」だと思っています。

 

子どもたちの明るく豊かな未来のためを最優先に考えたとき、

社会を構成するすべての人たちの意識が変わってくるでしょう。

いま何をしたらいいのかが変わってきます。

 

そんな動きを起こす力は、私にはありません。

しかし、想い続けることはできます。

そのために、「ここいまタウン」をつくろう!のページをつくり、

考えてきたことを目いっぱい表現してみました。

「ここいまタウン(仮称)」をつくろう! | Facebook

 

いま投稿は休止しています。

それは、想いの丈はすべて書いたといまは思っているからです。

このページが更新されるのは、何らかの動きが出てきたときだと思っています。

 

動きが起こるためには、

自分自身が元気でイキイキとすごし、幸せを感じて生きることだと思います。

 

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写真には、特に意味はありませんが、

リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、

散歩中に撮ったものを適当に貼っています。