天職はどうしたら見つかるのでしょう?
奥平亜美衣さんが、講演会などでよく聞かれる質問です。
『自分を愛すると夢はかなう』(吉本ばなな・奥平亜美衣対談)
には、このようなことが書かれています。
天職とは、「自分が生まれる前に決めてきたこと」。
それは職業ではない場合もある。
例えば、「家族の一員として家族の愛を感じたい」と
生まれる前に決めてきた人もいる。
天職は、「天が自分に求めている仕事」であって、
「自分が天に求めている仕事」ではない。
「天が自分に求めている」ということは、
「天が自分に授けた能力」であって、
「自分が授かりたかった能力」ではない。
ということは、天職とは、自分が授かった能力なので、
自分の中から湧き上がってくるものであり、
どこかにあって、それを探しに行くものでもなく、
他人を見て、同じようになろうとするものでもないということだろう。
本来は、自分の好きややりたいこと、夢中になれることの中から、
自然に出てくるものではないだろうか。
ところが、現代の教育のしくみは、
それを子どもたちから奪ってしまっていると思えて仕方がない。
私Solは、天職かどうかわからないけど、
ライフワークだと自分で思える仕事に出会うのに
60年という歳月がかかっている。
それが見えたのは、会社を卒業してから。
もう一つ、転職を感じさせるステキな詩に出会った。
『聖なるあきらめが人を成熟させる』鈴木秀子著で紹介されている詩。
ある兵士の祈り (訳:G・グリフィン神父)
大きなことを成し遂げるために力が欲しいと神に求めたのに
謙遜を学ぶように弱さを授かった
より偉大なことができるように健康を求めたのに
より良きことが出来るようにと病弱を与えられた
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようと成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと生命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意に沿わぬものであるにもかかわらず
心の中の言い表せないものは全て叶えられた
私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ
写真は、特に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
散歩中に撮った写真を適当に貼っています。