<Tip & Episode> 価値感とつきあう④ 空虚にあって見えないもの

そもそも「価値観とつきあう」は、『人生の秘密』(山崎啓支著)を

読み直してみて、感じたことを書こうと思って始めたもの。

しかし、その本から書き出した内容が、まだ、いくつもそのままになっている。

 

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みんな違ってみんないい。
 
この言葉の意味の大切さは日々感じている。

子どもの世界では特に、これに勝る言葉はないとも思っている。
 

しかし、大人の世界になると、違い過ぎる現実を目の当たりにする。

動物の世界を見るかぎり、個々の違いは、ある範囲の中にあるように見える。

多分人間もそうなんだと思うのだが、

人間は、本能+αの「+α」の部分を履き違えているのであろうか?
 
人間らしい感性豊かでやさしい人たちと、

権力や資力に寄りかかり、闘争に明け暮れる人たち、

この違いは何なのだろうか?
 
Solオリジナル

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先日、こんなTipを書いたコメント欄で、

「空虚感」という言葉に至ったので、エピソードは横に置いても、

まずは控えていたものをここに書き出してみようと思った。

 

------ 以下引用 (つながっていない部分もあるが中略記載を省略)-------

 

私たち現代人はなぜ、「もっと、もっと」と

外側に幸せを求めてしまうのでしょうか。

それは、現代人の多くが「空虚感」を感じているからではないでしょうか。

「もっと、もっと」と感じることは、「足りない」と感じている証拠です。

十分に満足していたら、それ以上欲しいとは思わないでしょう。

ところが実際には、飽きることなく「モノ」を求めつづけたり、

「見られたいイメージ」を身につけることに

躍起になっている人は多いのです。

図のように「空虚」を土台にしているかぎり、

最終的に実現されるのは、つねに「空虚」なのです。

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また、あらゆる資格をいくつも取得する人がいます。

勉強して資格をとることを純粋に楽しんでいる人がいるかもしれませんが、

多くの場合は、空っぽな自分を埋め合わせるためにやっています。

「空虚感」を埋め合わせるために、

自分自身に張り付けるレッテルが重要になってしまっているわけです。

 

「自分には何かが足りない」

「自分は無価値な人間だ」

などと感じているとき、私たちはみじめな気持ちになり、

いやな感覚を味わいます。

するとそこから「逃避したい」と感じるのではないでしょうか。

人間の中にある「もっと、もっと」と外側に幸せを求める衝動は、

じつはこの「逃避したい」という気持ちがつくり出しているのです。

 

人ななぜ、空虚を感じてしまうのでしょうか。

いまの自分では何かが足りない、いまの自分では何の価値もない、

などと思ってしまうのでしょうか。

 

その大きな原因の一つは、「比較」です。

たとえば、

  • 誰かと比べて自分は劣っていると認識したとき
  • かつての自分と比べていまの自分は劣っていると認識したとき
  • 世間一般の基準と比べて、自分は劣っていると認識したとき

このように、人は自分に空虚を感じます。

いまの自分には価値がない、などと思ってしまうのです。

「比べること」をやめられたら、

人はいまよりもっと自由に豊かに生きられるだろうと思います。

 

人がもっと自由に、楽に生きるための第一歩は、

「比べることをやめる」ことです。

いまの自分を他人と比べたり、かつての自分と比べたり、

世間と比べたりしないことです。

でも実際はなかなか難しいでしょう。

なぜなら「比較」もまた「価値観」から生まれるからです。

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ここまで書いてきて、突然エピソードが湧いてきた。

今朝Facebooのタイムラインに、書いたもの。

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昨晩は、学童保育を早めに失礼して、

7本指のピアニスト 西川悟平さんのコンサートに行きました。

ダイアログ・イン・ザ・ダークの

ダイアログ・ミュージアム「対話の森」設立のための

チャリティコンサートです。
 
ステキなピアノの調べだけでなく、西川悟平さんのトークが冴えわたる。
 
ピアニストとして、

指が完全にマヒして動かなくなるというどん底を経験した西川さんは、

一時の挫折感を乗り越え、病気に感謝する境地に至り、より人生を深め、

言霊を信じて、幸運や奇蹟を引き寄せてきた人だった。

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西川悟平さんは、ピアニストとしての絶望感を味わったとき、

たぶん、コップの水の入っていない部分を見ていたのだと思う。

しかし、水はゼロではなかった。

その残った水があることに感謝し、そして多くの水を奪った病気にも感謝した。

指が動かなくなったピアニストは、

他のピアニストと比較してもしかたがないことにも気づいた。

今日の自分は、昨日の自分より、これができるようになった。

そんなわずかなことに感謝し、自分はできると信じた。

ねばならないではなく、日々努力できるということ自体に感謝した。

昨日のお話を聞いて、それを改めて感じてみて、

私は、こういうことではないかと、いま思っている。

 

空虚のなかにあるのは、虚しさ、悔しさ、挫折感、怒り、....。

それにとらわれると、空虚感のループを逃れることができなくなる。

 

変な言い方だけど、空虚の中にないものがあると思う。

それは、「感謝」。

いや、それはないものではなく、あるけど見えていないもの。

見ようとしていないのではなく、気づいていないだけ。

気づいて、メガネを替えたり、見る方向を変えると見えてくる、

そういうものだと、いま私は感じている。