一人ひとりの成長を見る

先日の投稿「子どもの成長を奪ってはいけない」では、

「ドリマ先生」「よんなー よんなー」で

多くの子どもたちに接して、感じたことを書きました。

今回は、その後感じたことを書こうと思いました。

 

前回のドリマ先生で行ったのは、市立中学校、

そこには、さまざまな背景を持っている生徒たちが

集まっていました。

 

今日は別の学校で、ドリマ先生をしました。

私立の女子大中学部の1年2組です。

そうなると事情は、少し違っています。

家庭はたぶん裕福で、幸せだと思われます。

そして、ある一定レベルの学力もあります。

だから、全体的に雰囲気は明るく、

ほとんど手がかからずに、みんなが夢を描き、発表できました。

 

そんな中でも、24人の女の子、一人ひとりが違っています。

だから、夢も違っています。

ドリームマップは、普段の授業と違うので、

先生が少し心配していた子たちが、意外にしっかりできて、

一方、活発な子が、思わぬところでつまずいたりしていたこと、

それを先生自身も感じていました。

 

隣の3組では、少しヒントを与えるだけで、

普段見せたことのないパワーで夢を描いた子がいたようです。

 

また、登校できていなかった子が、

ドリームマップがあるから来たいと言って、

昨日来て準備をして、今日見事にやり切ったという、

とってもステキなことが、1組で起こっていました。

 

学校の授業を通した見方だけで、
また、人と比べるやり方で、
生身の子ども(人間)を判断できないと思います。

 

先日も引用した若宮正子さんの

『明日のために、心にたくさんの木を育てましょう』に、

こう書かれています。

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日本の学校の評価基準は、点数が高い人から順位をつけていって、

「平均点」より上か下かで能力を判断する相対評価主義。

でもね、そんなのって意味ないと思うんです。

大事なのは、「その子がどこまで進歩したか」。

  • 消極的だった子が、みんなの前で声を出して国語の教科書を読めるようになった。
  • 二桁の掛け算ができなかった子が、できるようになった。
  • 半年目に比べて、かけっこが速くなった。それこそが進歩ですよね。

自分じゃない誰かと比べるんじゃなくて、前の自分と比べる。

前の自分から、それだけ頑張れたか。

 

たとえば、前はできていたことが、

自分がさぼっていたためにできなくなった場合は

「もっと頑張りましょう」

って言われても納得できるでしょ?

でも、

「ほかの人がこんなにできるんだから、あなたももっと頑張りましょう」

って言われたって、頑張りようがないじゃない。

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一方、「よんなー よんなー」では、

私が接しているのは、今のところ2人しかいないのですが、

一人は、会うたびに、やる気が出て明るくなっているのが

手に取るようにわかります。

もう一人も、その場に来ること自体が楽しみで、

勉強は二の次にはなっていますが、

自分のやりたいことを見つけようと、

最近、本を積極的に読むようになっています。

親の意向から、自分の興味に移行している感じです。

 

そこにいる伴走者のみんなが、若くてとってもステキです。

だからそこには、安心安全な居場所ができています。

否定されることなく、認めてもらえる。

世間の変な物差しで測られることなく、

その人自身の成長を素直に喜んでもらえるのです。

 

そんな場に、ステキな仲間といられること、

そこは自分が成長できる場でもあること、

そのことに私は感謝して、

「ドリマ先生」も「よんなー よんなー」も

続けていきます。

 

幅広い年代とコンタクトができて、幸せだなと思います。