『ザ・ワーク - 人生を変える4つの質問 - 』
バイロン・ケイティ著からの引用
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世界にはたった3種類の領域しかありません。
私の領域、あなたの領域、そして神の領域です。
私にとって、神という言葉は、「現実」を意味します。
現実こそが世界を支配していると言えるという意味で、神なのです。
私やあなた、みんながコントロールできないもの、それが神の領域です。
ストレスの多くは、頭の中で自分自身の領域から離れたときに生じます。
「(あなたは)就職したほうがいい、幸せになってほしい、
時間通りに来るべきだ、もっと自己管理する必要がある」
と考えるとき、私はあなたの領域に入り込んでいます。
一方で、地震や洪水、戦争、死について危惧していれば、
神の領域に入っていることになります。
私が頭の中で、あなたや神の領域に干渉していると、
自分自身から離れてしまうことになります。
私がこのことに気づいたのは、1986年の初め、
頭の中で母の領域に入り込んだときです。
例えば、「母はわたしを理解すべきだ」という考えを持つと、
たちまち孤独感に襲われたのです。
わたしの人生を振り返ってみると、傷ついたり、孤独に感じたりしたのは、
いつも、誰かの領域に踏み込んであるときであることに気づきました。
あなたはあなたの人生を生きているのに、
私が頭の中であなたの領域に入り込むと、
私の領域を生きている人がいなくなります。
誰かにとって、最善のことを自分が知っていると考えるのは、
自分の領域を離れることになります。
愛という名の下であっても、まったくの驕りであり、
緊張や不安、恐れを招くことになります。
あなたのために問題を解決しようとする前に、
自分自身にとって何が正しいのかを知ることが、
私にとっての唯一の領域です。
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これもまた、その通りだとおもう。
しかし、ある意味、こんなに単純なことが、
今の世の中では、これほど難しいことはないといえる。
私の主観だが、100%に限りなく近い人たちが、
他人の領域や神の領域で生きていると思える。
世の中、争いごとが絶えないし、人間関係の悩みが多いのも、
ほとんどが、他人の領域に入り込んでいるからだろう。
自分の価値観を、他人に押し付けようとしている。
それも無意識に。
いかに説得しようとしても、争ってみても、
他人の内面を変えることは出来ないもの。
ひたすら自分の領域を生きて、
相手が自然に変わっていくのを待つしかないのだけど...。
身近な人をも変えることができないのに、
社会で起こっていることを変えること、
自然現象を変えることは、個人の力でできるはずもない。
その領域で生きようとすると、とっても苦しく、ほぼ挫折する、
あるいは、つらい不安感や無力感にさいなまれることになる。
両方とも、「いま、ここ」を生きていないと言える。
私も、つい最近まで確実にそうだった。
人一倍そうだったかもしれない。
それが、サードプレイスで、いろんな学びや気づきを得て、
また、多くのご縁をもらって、徐々に、
「自分の領域で生きる」ことが大事であるとわかってきた。
そして、「自分の領域で生きる」と、
自分のやりたいこと、好きなことが見えてきて、
目の前のことを丁寧にやればいい、
すなわち、いまここを生きればい、
と思えるようになって、とても楽になる。
そして今、学童保育で思うのは、
子どもを変えることは出来ない、
さらに言うと、変えようとしてはいけないということ。
大人だから、無理やり言うことを聞かせることはできる。
しかし、それは、その子が変わったのではなく、
抑圧されて、外に出るべきものが中に押し込められただけ。
子どもは子どもの領域で生きているのだから、
大人も、自分の領域で生きながら、子どもと関わっていく必要がある。
子どもたちが、自己主張し、相手をけなしたり、悪ふざけをしたり、
ケンカをしたり、泣きわめいたりしているのを
毎日目の当たりにするにつけ、それは、
「自分の領域」と「相手の領域」を見極めるための必要な過程
なのかもしれないと思えてきた。
それを、大人が邪魔をしてはいけないのだと強く感じる。